浮世絵の風景を刷新した「ベロ藍」誕生秘話

浮世絵の風景を刷新した「ベロ藍」誕生秘話

江戸時代に海外から輸入されてきた、それまでにない鮮やかな青の絵具「ベロ藍」。江戸の庶民を虜にし、北斎をはじめ多くの浮世絵師に愛されたこの青色は、浮世絵の一大ジャンルとなった「風景画」を大きく発展させた立役者でした。本記事では、この「ベロ藍」の誕生の秘密と、その正体に迫ります。

浮世絵風景画の立役者「ベロ藍」

18世紀、ヨーロッパから日本へ輸入されてきた化学的な合成顔料「ベロ藍」。鮮やかな青色に発色するこの絵具を用いることで、それまで浮世絵に用いられてきた植物系の「つゆ草」や渋い青色の「本藍」ではかなわなかった透明感のある青が表現できるようになりました。

プルシアンブルーの絵具。(撮影:アダチ版画研究所)

これにより様々な浮世絵版画の中でも大きく表現の幅を広げたのが、のちに浮世絵の一大ジャンルとなった「風景画」です。鮮明な色合いに加え、濃淡のつけやすさをも兼ね備えたこの新しい青色は、自然界には欠かせない「空」や「水」の表現を可能にしたのです。

ベロ藍は偶然見つかった!?

18世紀にヨーロッパから輸入されてきて、日本の浮世絵風景画を大きく発展させた「ベロ藍」。「ベロ藍」は、18世紀初頭にドイツ・ベルリンで発見されました。日本にこの絵具が初めて輸入されたのは延享4(1747)年ごろのこと。日本ではその発祥地の名前をとって、「ベルリン藍」と呼びました。「ベルリン藍」を省略した「ベロ藍」の呼び名も広く知られています。

さて、そのベロ藍の誕生の経緯を調べてみると、意外な事実が見えてきます。1704年、とあるベルリンの染料業者は、いつものように赤色絵具を作ろうとしていました。赤色の絵具の調合に必要なアルカリがその日はちょうど手元になかったので、他の研究者のアルカリを借りて調合を進めていくと突然、驚くべきことに青色の沈殿物が発生しました! 赤色の絵具を作ろうとして偶然に生まれたこの青い化合物が、ベロ藍でした。美しい青の表現を可能にしたベロ藍は、なんとたまたま発見された絵具だったのです。

染料業者と研究者はなぜ青色の絵具ができたのか不思議に思い、調査を進めました。結果、原因が研究者から借りてきたアルカリにあったことがわかりました。そのアルカリは普段染料業者が使っているものとは違い、研究者が独自に作った、動物の血液由来のものだったのです。偶然にできた青の正体が解明され、製法が確立すると、安価で手に入るようになったベロ藍は世界的に用いられるようになりました。

実際のベロ藍調合過程をのぞいてみよう!

2019年6月に「静岡科学館る・く・る」さんで、ベロ藍を作るという実験が行われました。その実験の様子から、実際のベロ藍の調合過程をのぞいてみましょう。

こちらは、淡い緑色の硫酸第一鉄と、赤色のヘキサシアノ鉄(Ⅲ)酸カリウムを、水によく溶かした溶液です。

左が硫酸第一鉄の水溶液、右がヘキサシアノ鉄(Ⅲ)酸カリウムの水溶液。(撮影:アダチ版画研究所)

この二つを混ぜ合わせていきます。黄色と赤褐色だった二つの液体が混ざり合った途端、不思議なことに青色の沈殿ができました!


静岡科学館る・く・るのスタッフさんが、硫酸第一鉄の水溶液とヘキサシアノ鉄(Ⅲ)酸カリウムの水溶液を混ぜると、液色が青に変化。試験管の中は、ちょっとドロっとしています。(撮影:アダチ版画研究所)

混ぜ合わせる前とはまったく違う色の液体ができるとは驚きです。発見した染料職人も、さぞかし驚いたことでしょう。

出来上がった混合液をビーカーに移してみます。沈殿していた青色の絵具は少しドロッとしています。できあがった青色の絵具を紙に着色してみると、写真のように見事な藍色が現れました。多くの浮世絵を鮮やかに彩ったベロ藍は、このように化学的に作られていたんですね。

和紙の上に置いた「ベロ藍」。赤い染料をつくろうとしたのに、これができたらびっくりですね。(撮影:アダチ版画研究所)

「神奈川沖浪裏」をはじめ、多くの浮世絵彩ったベロ藍。遠い異国の地で偶然に生まれたこの青色絵具がなければ、私たちが北斎や広重の美しい風景画を見ることなかったかもしれません。そう考えてみると、この青色絵具の誕生は興味深い奇跡的な出来事なのだと思えてきますね。

ベルリンで偶然生まれたプルシアンブルー×和紙×日本の職人技=浮世絵!(撮影:アダチ版画研究所)

協力・静岡科学館る・く・る
文・「北斎今昔」編集部