今からおよそ250年ほど前、江戸で多色摺の木版画の技術が完成しました。色とりどりの鮮やかな浮世絵版画を、人々は錦の織物にたとえて「錦絵(にしきえ)」と呼びました。その美しさと精巧さは、江戸の人々はもちろん、現代に至るまで世界中の人々を魅了しています。絵師の創意はもちろんのこと、そこには彫師・摺師の高度な技術が注ぎ込まれ、素材の特性を活かしたさまざまな工夫が見られます。
今、栃木県の那珂川町馬頭広重美術館では、そうした浮世絵版画の色彩と技法にフォーカスした企画展「浮世絵版画の色とワザ」が開催中。同館学芸員・山内れいさんに、同展出品作の中から、注目の一枚をご紹介いただきました。
東北芸術工科大学大学院芸術工学研究科芸術文化専攻保存修復領域修了(修士)。専門は文化財保存科学。2015年より現職。担当した展覧会は「尾形月耕展―花と美人と歴史浪漫―」(2018)、「川村清雄 その画業」(2021)ほか。
華やかな浮世絵を生み出した素材と技法に注目!
——現在開催中の企画展「浮世絵版画の色とワザ」では、どのような作品が展示されているのでしょうか? 展覧会の見所を教えてください。
本展覧会は、浮世絵版画の色と制作技術の二つにスポットを当てて紹介するものです。浮世絵とは、紙に絵を摺った版画と絵師が直接描いた肉筆画の二つに大別できます。中でも、色彩豊かな版画は江戸時代に多くつくられたフルカラーの印刷物ともいえるでしょう。浮世絵版画が出版されたこの時代、庶民までがフルカラーの印刷物を手にしていたのは、世界的に見てもめずらしいことでした。
この豊かな色彩を作る上でキーポイントとなるのが色材です。日本の色材といえば、丹や朱、黄土などを想像します。しかし、これら色材の他に、浮世絵版画では紅花や藍、ウコンなど植物由来の色材も使用しており、色鮮やかな一枚に仕上げられていました。近年では、浮世絵版画に使用された色材が科学的に調査されるようになり、次第に使用色材が解明されつつあります。本展覧会では、広重美術館(山形県天童市)と大和あすか氏(現東京藝術大学)によって科学調査された作品を、調査結果と実際の色材と共にご紹介しています。また、今回は雲母摺や正面摺がされた当館所蔵の作品も展示しています。
また、浮世絵版画制作で欠かせないのは、彫りと摺りの技術です。多くの彩色を施すということは同時に色の数だけ版木を彫り、摺らなければいけないということ。一枚の浮世絵版画だけでも、1ミリよりも細い線や筆の筆圧を彫り出す技術、濃い色から淡い色へのグラデーション(ぼかし)やズレが生じないように摺る技術と職人のワザが込められています。また、ラメのようにキラキラさせる雲母摺や紙に凹凸をつけて布目や波を表現する空摺など、思わずじっくり眺めてしまう技術もあります。
さまざまな色材を用いた幅広い色調、彫刻刀が生み出す繊細な描写
——本展の中で、特にじっくり眺めるべき作品を挙げるとしたら、どの作品でしょうか?
三代歌川豊国、二代歌川広重による「東都四季名所尽 日本橋」です。
青の襟巻に外套を身に着け、紫の傘を持つ歌舞伎役者・河原崎権十郎。濃い青の背景には扇形の枠に日本橋の風景が描かれています。この作品は、人物を三代歌川豊国(国貞)が、日本橋の風景を二代歌川広重が手掛けた合作です。実は、この一枚だけでも、浮世絵版画の色とワザの秘密が隠されているのです。
この作品の特徴といえば、襟巻と外套、背景の青です。それぞれ違う青に見えますが、科学調査によると、これらの青はすべてプルシャンブルーが使用されているそうです。プルシャンブルー(Fe4[Fe(CN)6]3)は、鉄を主成分にした合成顔料で、とても粒子が細かく、少量でも鮮やかな青を表現することができます。1740年にドイツのベルリンで発見され、「ベロ藍」とも呼ばれています。日本への輸入は延享4年(1747)から開始され、文政12年(1829)頃から浮世絵版画に使われました。
次に、傘の紫に注目してみましょう。この作品が制作された時代、単体で紫を呈する色材は貝紫と紫根の希少かつ高価なものしかなく、浮世絵版画の場合は赤と青の色材を混ぜることによって紫を表現していました。ならば、青の色材はプルシャンブルーかな?と想像してしまいますが、ここでは露草(青花)と紅花を混ぜて紫を表現しているそうです。露草と紅花は、古くから使用されている色材。摺師たちは、昔からの色材と新しく鮮やかな色材のそれぞれ性質を研究しながら、やりたい表現によって使う色材を選んでいたかもしれません。まだまだ、摺師のこだわりや技術がわかりそうな色材の歴史。今後の科学調査で更に明らかになるかもしれません。
彫師だって負けていません。髪の毛の生え際にご注目。なんと髪の毛の一本一本を彫っているのです。その線の細さは本物の髪の毛と同じくらい、超極細ともいえるもの。このように細い髪の毛の表現を「毛割」といいます。こんなに細い線を木の板に彫ったら、折れてしまうのでは?と考えてしまいます。しかし、浮世絵版画の版木には硬くて丈夫な山桜の板が使われました。このため、毛割のように細く、繊細な描写が可能だったのです。
また、少し角度を変えて外套の部分に注目すると、色がついていない波線のような凸凹がみえます。これは色をのせず、版木の凹凸を紙に押さえつけて摺る「空摺」という方法です。画像では、なかなかわかりづらいですが、実際の作品をあらゆる角度から観察すると、青い外套であると同時にフワフワな質感を感じることができます。この質感は、ぜひ展示室で感じてみてください!
——これから展覧会に足を運ばれる方に、メッセージをお願いします。
1点の作品でも、たくさんの色とワザの秘密が隠れている浮世絵版画。そんな当時のフルカラーの印刷物を、庶民層までもが手にしていたのは、当時の諸外国に比べて非常に稀なことでした。今では、印刷技術も発達し、私たちは様々な印刷物に囲まれています。本展覧会の作品を通し、当時の人々はどんな気持ちで浮世絵版画を手にしていたのか、イメージしながら見るのも楽しいかもしれません。
浮世絵が好きな人も、あまり知らないけど見てみたい人も、様々な角度から展覧会を楽しんでください。
——ぜひ会場で、細部までじっくり鑑賞したくなりました。山内さん、ご紹介ありがとうございました。
展覧会情報
会 期:2022年5月14日~6月19日
時 間:09:30〜17:00(※入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日
会 場:那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那須郡那珂川町馬頭116-9)
観覧料:一般 500円/大高生 300円/中学生以下無料
お問合せ:0287-92-1199
公式サイト:http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/archives/exhibition/1998
寄稿・山内れい(那珂川町馬頭広重美術館 学芸員)
協力・那珂川町馬頭広重美術館、広重美術館(山形県天童市)
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