こんなところにビッグウェーブ?! 波の躍動を秘めた北斎の花
浮世絵師の仕事は、現代で言えばデザイナーに近いかもしれません。世界的に知られる浮世絵師・葛飾北斎も、さまざまな条件や制約の下で多くの作画をこなす中で、独自の構図メソッドを編み出し、表現を洗練させていったのではないでしょうか。北斎の優れたデザイン感覚がうかがえる花鳥画には、実は代表作「富嶽三十六景」の経験が活きていました。
江戸のデザイナー? 抜群の構成力で描いた北斎の花鳥画
現代では「芸術品」として評価されている浮世絵。しかし一部の特注品を除いて、江戸時代の浮世絵版画は、大量生産の商業印刷として発展した「出版物」としての役割が主でした。職人の手により木版で生産されていたため、版元(現在の出版社)からの注文を受けた絵師は、制作費に直接影響する板の枚数や、摺る回数をなるべく抑えることも念頭に置いたうえで版下絵(版木を彫るための下絵)を描いていたと考えられます。
常に一定の制約の中で作品制作をすることが求められていた浮世絵師は、自己の表現を追求する「芸術家」というより、依頼主の要望に沿って作品を制作する「デザイナー」に近いと言えるのではないでしょうか。
さて、この制約を逆手に取り、無駄のない描線と大胆な構図で優れた浮世絵版画を生み出したのが北斎でした。たとえば北斎の花鳥画を見てみると、背景を描かず、シンプルに対象を切り取った画面から、現代のデザインに通じるモダンな印象を受けます。特に「罌粟」(下段左端)は、強風にあおられ大きくしなった罌粟の花を、ただ見たままに描いているのではなく、長方形の画面の中に巧妙に配置して、躍動感を生み出しています。北斎は目に見えないはずの「風」をデザインし、見事に表現しているのです。
*北斎の花鳥画各図をじっくりご覧になりたい方はこちらの記事もぜひご覧ください。自然の「静」と「動」を美しく描き出す 北斎の傑作花鳥画10図をご紹介(「北斎今昔」編集部/2020.07.03)
あの波のダイナミズムが花鳥画に
ところでこの「罌粟」のダイナミックな構図、どこか見覚えがあるように思いませんか?
実はこの作品、北斎の最高傑作とも言われる「神奈川沖浪裏」と、構図の類似性が指摘できるのです。試しに同じ縮尺でこの2作品の画像を重ねてみましょう。
「神奈川沖浪裏」の大波と、大きく風にたわんだ「罌粟」の花のカーブがピッタリと重なりました! これは偶然でしょうか。
生涯追い続けた波の表現の完成
「神奈川沖浪裏」は「富嶽三十六景」という全46図のシリーズの中の一図です。このシリーズの出版が始まったとき、北斎はすでに70歳を過ぎていました。自他共に、絵師人生の集大成となるシリーズとして位置付けていたであろうことが想像されます。(結果的には、北斎はその後も20年近く生きるのですが……。)北斎の幅広い画業の成果が凝縮された「富嶽三十六景」は大ヒット。
中でも波は、北斎が若い頃から繰り返し描いてきた題材であり、「神奈川沖浪裏」の迫力満点の波は、数十年にわたる試行錯誤の到達点でもありました。決して今の自分に満足することなく、常に画技を磨き続けた北斎ですが、「神奈川沖浪裏」の反響に手応えは感じていたはずです。
*下記の記事では、北斎の波の表現の変遷について、45歳頃の作品と70歳頃の作品を比較しました。"The Great Wave" 迫真の大波が生まれるまで(「北斎今昔」編集部/2020.07.03)
実は、今回ご紹介した「罌粟」を含む10図の花鳥画は、この「富嶽三十六景」が出版された頃とほぼ同時期に、同じ版元の西村屋与八(永寿堂)から刊行されています。「神奈川沖浪裏」によって獲得した構図の躍動感を応用し、画面の中に風を生み出したのが「罌粟」なのです。どれだけ本人が意識的だったかはわかりませんが、画道ひと筋、約半世紀におよぶ不断の努力により、北斎は、効率的な画づくりの法則を、つまりは独自のデザインメソッドを、自らの中に蓄積していたのではないでしょうか。
文・「北斎今昔」編集部
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