江戸時代、浮世絵版画は庶民の娯楽として量産され流通しました。そこに描かれているのは、人気のスターに評判のアイドル、一度は行きたい観光スポットやご当地グルメ。人々の関心事は今も昔も変わりません。そしてやはり多くの人の心をとらえて止まないのが、恋愛にまつわる話題。うっとりするような純愛から、ドロドロの愛憎劇まで、浮世絵にもさまざまな恋模様が描かれています。
今、原宿の太田記念美術館では、恋愛をテーマにした浮世絵展「江戸の恋」が開催中。同館学芸員・赤木美智さんに、同展出品作の中から、心ときめく一枚をご紹介いただきました。
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は近世絵画史(浮世絵)。担当展覧会は、「浮世絵動物園」(2010)、「広重ブルー」(2014)、「菊川英山」(2017)、「江戸の天気」(2021)ほか。さまざまな角度から浮世絵の魅力を掘り下げている。
浮世の酸いも甘いも噛み分けて
——現在開催中の展覧会「江戸の恋」では、どのような作品が展示されているのでしょうか? 展覧会の見所を教えてください。
本展は、恋をテーマに浮世絵をご紹介する展覧会です。浮世絵に描かれた恋と言えば、鈴木春信や喜多川歌麿らが描く、見る者をうっとりさせるような美男美女の恋愛をとらえた作品が思い浮かぶかもしれません。しかし、心中や不義密通、恋の末の殺人など、実際の衝撃的な事件を脚色した歌舞伎や浄瑠璃の愛憎劇も、浮世絵の格好の題材となっています。
江戸の人々は、理想的な恋だけでなくドラマチックで時にドロドロとした恋愛譚にも魅了されていたのです。そこで本展は2部構成とし、第1部「恋に恋して」では、当時の人々が憧れた恋の一場面を描いた作品をご紹介いたします。前半では鈴木春信や勝川春章、歌川豊国など時代を代表する絵師たちの優品を、また後半では遊里を舞台とした作品を展示いたします。
対して、芝居などで話題となった衝撃的な恋を描く作品をとりあげるのが第2部「ドラマチックに恋して」。助六と揚巻、お染と久松など、有名な恋人たちの物語も数多くご覧いただきます。また恋人に再会するために罪を犯したとされるお七、死してなお桜姫に執着する僧清玄はじめ、恋ゆえに運命に翻弄される人物も次々と登場いたします。
展覧会の見どころは、まずは麗しい男女を描き時代を築いた春信や春章の優品です。とくに春信の、時に古典世界をとりこみ画面をロマンチックに仕上げる手腕にご注目ください。また芝居の筋をふまえた作品の内容は、年の差の恋、身分違いの恋、命がけの恋、横恋慕と盛りだくさんとなっています。その多彩さも楽しみつつ、江戸の人々にとっても恋の生み出す人間ドラマや悲哀が大きな魅力であったことも感じとっていただければと思います。
当代の恋人たちの姿で描く、中国史に刻まれた悲恋
——本展の中で、とっておきの作品はどの作品ですか?
鈴木春信の「つれびき」です。
「つれびき」は、カキツバタの咲く水辺で体を寄せ合い一棹の三味線を引く若い男女を描きます。男性は女性の顔をじっと見つめており仲睦まじい様子が伝わりますが、実は本作は、恋人たちの姿をただとらえたものではなく、中国・唐(8世紀)の玄宗皇帝とその寵愛を一身に受けた楊貴妃の見立てとなっています。
玄宗が楊貴妃に耽溺し政治を怠り、安禄山の乱を引き起こした末に貴妃を失うという二人の物語は、白居易による叙事詩「長恨歌」を介して日本においても古くから知られ、平安時代にはその姿を描いた屏風が制作され貴族たちに賞翫されていました。室町時代の五山の禅僧による詩文集には、玄宗と楊貴妃が酒宴の余興に女官たちを率いて行った戦の真似事を描く「風流陣図」、また二人が一本の横笛をともに吹く「笛図」へ寄せられた詩文も見いだされます。玄宗と楊貴妃は文化の担い手たちによって長く親しまれた題材と言えますが、なかでも二人の愛情の深さを示す画題として知られた「並笛図」を、本作はふまえているのです。
ちなみに同様の水辺の景のなかに一管の笛を吹きあう男女、胡弓を弾く男女も描かれており、本作はこれらをあわせた3図で一つの揃物として制作された可能性が指摘されています。こうしたバリエーションが生み出されるほど、春信の周辺では玄宗と楊貴妃の姿が親しまれていたこともうかがわれます。
さてここまで、本作に中国の後宮にも連なる古典世界が重ねられていることを見てきましたが、改めて画中の男女を見てみましょう。二人はともに華奢な体つきで面貌もよく似ています。頭頂部を剃る月代が、右の男性に見えることが男女を判別する手がかりのひとつとなるでしょうか。こうした華奢で中性的な春信の人物表現は、現代人の目からすると現実離れしたものと見えるかもしれません。しかし多くの絵師が追随するなど一世を風靡しましたから、当時の美意識にかなったものであったと言えるでしょう。
また若衆は縦縞の着物をまとい、縞が体に沿ってゆったりと湾曲する様はとても優美です。縦縞は、18世紀半ば以降に粋な模様として好まれたデザインでもありましたから、流行のファッションを取り込みつつ画面を品よくまとめる点にも、春信の手腕が光ります。 時代の好みを体現した若い恋人たちに重ねられた、玄宗皇帝と楊貴妃の古典世界。二人の浮世離れした佇まいは、画中により甘美で幻想的な雰囲気をもたらすこととなっています」
——これから展覧会に足を運ばれる方に、メッセージをお願いします。
現代では映画や漫画であらゆる恋物語が繰り広げられていますが、本展からは江戸時代も負けず劣らず、さまざまな恋の形が芝居や浮世絵に取り込まれ親しまれたことを実感いただけると思います。複雑な人間関係のなかで義理や人情の板挟みに苦しむ恋もあり、現代人が共感しづらいストーリーも多いかもしれません。しかし江戸で愛された作品を通して、一途な想いや嫉妬、あらゆる感情を抱いて生きた当時の人々の姿にもぜひ思いをはせてみてください。
また本展では、note上にて有料のオンライン展覧会を配信しております。美術館に足をお運びいただかなくても作品をご覧いただけますので、こちらもお楽しみいただければ幸いです。
——赤木さん、胸がキュンとするとっておきの一枚をご紹介くださり、ありがとうございました。充実の作品解説がいつでも読めるオンライン展覧会も、ぜひ活用したいと思います!
展覧会情報
会 期:2022年1月5日~30日
時 間:10:30〜17:30(※入館は閉館の30分前まで)
休室日:月曜日(1月10日は開館)、1月11日
会 場:太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10)
観覧料:一般 800円/大高生 600円/中学生以下無料
お問合せ:050-5541-8600
公式サイト:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/edo-no-koi
寄稿・赤木美智(太田記念美術館 学芸員)
協力・太田記念美術館
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