ファッションアイコンからセクシーアイコンまで江戸の美人はお任せあれ! 浮世絵師・喜多川歌麿ってどんな人?

ファッションアイコンからセクシーアイコンまで江戸の美人はお任せあれ! 浮世絵師・喜多川歌麿ってどんな人?

海外の人々が日本に対して抱いている「フジヤマ・ゲイシャ」のイメージ。おそらくこのイメージの形成には、19世紀の終わりに海を渡った浮世絵も大きく影響していると思います。そして「ゲイシャ」に象徴される和装美人の魅力を世界にアピールした一番の功績者は、浮世絵師・喜多川歌麿ではないでしょうか。一体どんな人物だったのでしょうか。
※本稿では、性的描写を含む浮世絵作品の画像を、一部加工し掲載しています。オリジナルの作品画像につきましては、本文に記載した参照元サイトにてご覧ください。

みんな歌麿美人に憧れた、浮世絵黄金期のスター絵師

喜多川歌麿(きたがわうたまろ・1753?-1806)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師。知名度に比して、その出自はほとんどわかっておらず、生まれた年も定かではありません。百鬼夜行図で有名な鳥山石燕(とりやませきえん・1712-88)の門人であったと伝えられています。

歌麿が活躍したのは18世紀後期、「浮世絵黄金期」と呼ばれた役者絵・美人画の全盛期。歌麿は、それまで役者絵に用いられていた大首絵(バストアップ)のスタイルを美人画に取り入れ、話題をさらいました。いきいきと表情豊かな歌麿美人は、瞬く間に一世を風靡(ふうび)します。

喜多川歌麿「婦女人相十品 ビードロを吹く娘」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

浮世絵の美人画は、よく現代のグラビアに例えられますが、歌麿の描く美人はセクシーアイコンであるだけでなく、ファッションアイコンでもありました。たとえば、切手の図柄にもなった「婦女人相十品 ビードロを吹く娘」は、当時流行していた市松模様の振袖を着た少女が、江戸では物珍しかったビードロ(ガラスの玩具)を吹いています。春風を受け、時代の最先端をゆく少女の姿は、女性からの支持も得たことでしょう。

喜多川歌麿「高名美人六家撰 難波屋おきた」「高名美人六家撰 扇屋花扇」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

歌麿は、評判の茶屋娘から高級遊女まで、ありとあらゆる世代・身分の女性たちの姿を描き分けました。事細かなキャラクター設定と描写力によって、モデルの実在を問わず、歌麿が描く美人には、血の通った人間のリアリティが備わっています。ちょっとした仕草や表情の中に喜怒哀楽を表わし、ときにはミーハーだったり嫉妬深かったり、ひとりひとりの個性を愛すべきものとして描きました。

喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」「婦女人相十品 文読む美人」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

こうした歌麿の美人画の才能を開花させたのは、あの謎の絵師・写楽を世に送り出した版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)。蔦屋はまず当時の文化人たちのコミュニティの中で、歌麿を売り出します。意外なことに、美人画で大成功をおさめる以前の歌麿が手がけた狂歌絵本の挿絵は、通好みの典雅な趣の花鳥画でした。

喜多川歌麿『百千鳥』より「鶏 頬白」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

歌麿はプライドの高い芸術家肌だった?

10年近い期間、蔦屋専属状態の「知る人ぞ知る」絵師だった歌麿ですが、寛政5(1793)年頃、美人大首絵で大当たりし、一躍人気絵師となります。そして、さまざまな版元から精力的に作品を発表しました。歌麿の模倣品も多数出回り、歌麿美人は江戸の浮世絵界を席巻します。

雌伏のときが長かっただけに、この状況に有頂天になってしまったのでしょうか……。歌麿は鶴屋喜右衛門のもとから出版した「錦織歌麿形新模様」というシリーズ作品の中に、美人画の大家としての自負や、同時代の絵師や版元への批判を文章で書き込みました。他の絵師を「蟻のように出てくる木の葉絵師」と称し、「私の画料は、この鼻とともに高い」と自信満々。

版元がこの高飛車な文言の出版を許可しているのですから、なんらかの事情があったのかもしれませんが、いくらなんでもやり過ぎですよね。

喜多川歌麿「錦織歌麿形新模様 白うちかけ」寛政8〜10(1796〜98)年頃 シカゴ美術館蔵 出典:The Art Institute of Chicago

また歌麿の作品の人物の中には、何点か「自画像ではないか」と推測されているものがあります。これは他の浮世絵師にはあまり見られないことで、自己主張・自己顕示欲の強い人物だったのではないかと考えられます。(そして自画像と推測されているものは、どれもなかなかに風流な美男子なのです。)

忠臣蔵の一場面。おしゃれな美男子の羽織の左右の紋に「歌」「麿」の文字が。
喜多川歌麿「高名美人見たて忠臣蔵 十一だんめ」18世紀 東京国立博物館蔵 出典:ColBase

こうしたことから、歌麿はかなりギラギラしたアクの強い人物だったと想像されますが、一方で、こんなエピソードも。親族の女性(妻と考えられています)が亡くなった記録のある年から、歌麿は2年近く、ほとんど作品を発表していないのです。制作年が特定されていない作品も多々あるので、この時期まったく制作をしていなかったとも言えないのですが、その女性の看護に徹し、没後しばらく筆をとれなかった可能性はあります。彼の感情的な言動は、繊細さの裏返しなのかもしれませんね。

「ウタマロ」はエッチな言葉?

さて、ご存知の方も多いと思いますが、海外では「ウタマロ」という言葉が一人歩きして、性器などの隠語(スラング)として用いられているケースがあります。これは「青楼の絵師」と称され、春画(性行為を主題に描いた浮世絵のこと)においても突出した才能を見せていた歌麿ならではの現象と言えるでしょう。

春画の多くは12図の揃い物として制作され、一図目は序章の役割を担う。
喜多川歌麿「ねがひの糸ぐち」より メトロポリタン美術館蔵 出典:The Metropolitan Museum of Art

江戸文化を代表する絵師の名前が、海外でそのように誤用されているのは大変残念なことなのですが、日本でも明治以降(時期や地域によって多少状況が異なるものの)、浮世絵に対する偏った認識が長く根付いていました。今や美術館・博物館で文化財として大切に管理されている浮世絵ですが、近代化の過程で、国内では旧弊で低俗なものとして扱われ、多くの作品が国外に流出しました。

そうした中で、夫婦和合の象徴でもあった春画は、比較的多くの家庭の箪笥の中で秘蔵され、次世代へと受け継がれることになります(嫁入り道具として持たされることもあったとか)。結果、一定数の人々が、江戸時代の多種多様な浮世絵を知らないまま、自宅に眠る春画やそれに類する作品を浮世絵と認識していたようです。本家本元の日本において「浮世絵=春画」というような認識が広がっていた時期があったわけですから、海外の人々が浮世絵に見られる性描写を「ウタマロ」と呼んだのも、致し方ないことかもしれません。

喜多川歌麿「ねがひの糸ぐち」より メトロポリタン美術館蔵(※ 作品の中に性的描写があるため、一部画像を加工しています。)
出典:The Metropolitan Museum of Art(※ リンク先のページ掲載の画像は、性的描写を含みます。)

そして数多の浮世絵師が春画を描いてきた中で、「ウタマロ」という言葉が、誤認はあれど世界的に広まったという事実は、歌麿の描く人物画の中に、時代や国境を越えて人々を惹きつける力があることを物語っています。歌麿という絵師は、春画のみでは語れず、また春画抜きにも語れないはずです。近年、春画の再評価も進んでおり、歌麿という絵師のはかり知れない魅力が今後さらに明らかになり、「ウタマロ」という言葉が正当な評価とともに広まっていくことに期待したいと思います。

文・「北斎今昔」編集部