浮世絵の魅力に心酔していたゴッホ。彼は浮世絵から何を学び、絵に何を見ていたのか

浮世絵の魅力に心酔していたゴッホ。彼は浮世絵から何を学び、絵に何を見ていたのか

色鮮やかで情熱的なその作品と生涯が、今なお世界中の人々を魅了し続けるポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。日本でも非常に人気が高く、海外のコレクションが来日する展覧会は、毎回大きな反響を呼んでいます。今秋も、オランダのクレラー=ミュラー美術館の名品を迎えた展覧会「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(東京、福岡、名古屋を巡回)が注目されていますね。今回は、そんなゴッホと日本の浮世絵の深い繋がりについて、アートライターとして活動中のかるびさんに、コラムを寄稿いただきました。

ライター紹介 かるび(@karub_imalive 
40代にして、コネも実績もない中、脱サラしてブロガーを経てライター業へ転身し、満5年が経過。現在は主夫業と兼業でライターとして活動中。各種Webメディアへの寄稿や書籍執筆、プレスリリース作成や展覧会公式SNSなど、アート系を中心とした「書く」仕事をやらせていただいています。 主な寄稿先は「和樂web」「楽活」「藝大アートプラザ」など。『名画BEST100』(永岡書店)『モネへの招待』『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント完全ガイドブック』(朝日新聞出版)では主要ライターとして執筆を担当させていただきました。

ゴッホを変えた、浮世絵との出会い

フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887年12月-88年2月 油彩、カンヴァス
ファン・ゴッホ美術館蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

近年、西洋美術史の中で最も人気のある巨匠フィンセント・ファン・ゴッホ。チューブから絞り出したような油絵具を、厚塗りでうねるように描いた作品はインパクト抜群ですよね。ゴーギャンとの奇妙な同居生活の顛末や、わずか37歳で迎えた衝撃の自死など、数々のドラマチックなエピソードとともに、彼の画風は世界中のアートファンを虜にしています。

そんなゴッホですが、彼は最初からキャンバスに絵の具が踊るような激烈な作風だったわけではありません。1880年頃に画家を志してからしばらくは、彼の祖国・オランダの同時代の画家たちの影響を色濃く受けた、比較的地味な作品を描いていました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《森のはずれ》1883年8-9月 油彩、カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
 ▶︎「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」出品作品

そこから、ゴッホの作風は激変します。わたしたちが今見て「ゴッホらしい」と感じられる作風へとたどり着いたきっかけは、芸術の都・パリへと移住したことでした。画商を営んでいた実弟テオのアパートで同居生活を始めると、ゴッホはパリで印象派やポスト印象派の仲間たちから感化されて、劇的に画風を変化させていきます。

実は、そこでゴッホの作風に強い影響を与えたのが「浮世絵」だったのです。

どういうことなのでしょうか? そこで、今回は、ゴッホと「浮世絵」の関係について、詳しく見ていくことに致しましょう。

19世紀後半のパリを席巻していた「ジャポニスム」

Landing of Commodore Perry, Officers and Men of the Squadron, to Meet the Imperial Commissioners at Yoku-hama, Japan, March 8th 1854(引用元:The Smithsonian Institution

1853年にペリーが浦賀沖へと来航し、日本は約200年ぶりに西欧社会との交流を再開しました。これにより、万国博覧会の開催や美術商の活動などを通して、絵画や工芸など日本文化が本格的に欧米へと知られていくことになります。西洋での伝統的な美術表現とは全く異なる感性の下でつくられた日本の美術工芸品は、西洋の人々に大きな衝撃を与え、19世紀後半の「ジャポニスム」ブームを巻き起こしました。

1873年ウィーン万国博覧会の日本館。田中芳男・平山成信編『澳国博覧会参同記要』(1897)より「澳国博覧会場本館日本列品所入口内部之図」(引用元:国立国会図書館 電子展覧会「博覧会 近代技術の展示場」

特にパリでは19世紀後半を通じて万国博覧会が合計4回も開催され、新たな芸術表現を探し求めていた次世代の芸術家たちに大きな影響を与えていくことになります。その中で、モネやドガといった印象派や、ゴーギャンやロートレックなどポスト印象派の画家たちに強い影響を与えたのが「浮世絵」だったのです。

ゴッホ、近所の画商で浮世絵に大ハマリする

ゴッホも、1886年春にパリへ移住すると、仲間の画家たちを通じてすぐに「浮世絵」に惹かれていきました。モンマルトルの自宅からすぐ近くに店を構えていた、古美術商サミュエル・ビングのギャラリーの常連になると、ゴッホは、足繁くビングのもとに通います。

目当ては、店舗の屋根裏に大量にストックされていた1万枚以上の浮世絵でした。彼は、何度もビングの店を訪れ、心ゆくまで浮世絵作品を研究し尽くしていたようです。

着物を着たサミュエル・ビング(画面向かって左端)
Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France, CC BY 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

ちなみにサミュエル・ビングという人物に少し触れておきましょう。

ビングは、林忠正とともに、1880~90年代を通じて日本美術をパリへと精力的に紹介した最も有力な古美術商の一人。ドイツ・ハンブルグ出身のビングは、1880年に初来日を果たし、妻の兄弟が横浜のドイツ領事を務めていたコネを活かし、横浜港を通して日本の古美術を直輸入するルートを確保。1886年当時は、ゴッホが住むモンマルトル近くのショーシャ通りに店舗を構え、工芸品や浮世絵を展示・販売していました。おそらくゴッホは、弟テオや画家仲間の紹介を通じてビングと知り合いになったのでしょう。

研究だけでは飽き足らず、自らも浮世絵展を開催!

このように、ゴッホはパリ時代、浮世絵漬けと言っても良いほど浮世絵へと傾倒していきました。実際、彼が弟テオと一緒に収集した日本の浮世絵作品は、400点以上にのぼります。しかも収集だけに飽き足らず、ゴッホはなんとコレクターとして浮世絵の展覧会を開催してしまうのです。

その展示会場となったのが、当時彼が行きつけとしていたクリシー通りのカフェ「ル・タンブラン」です。ここの主人は、かつてコローやマネといった印象派の系譜につながる巨匠のモデルを務めていたアゴスティーナ・セガトーリという女性。一時期愛人関係に発展する(!)など、彼女と非常に懇意にしていたゴッホは、自らの絵で食事代を払ったり、作品を売るための個展をル・タンブランで開催したこともありました。

実際、浮世絵展を開催した時期に、店内でセガトーリをモデルに描いたとされる肖像画作品が残されています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《カフェにて「ル・タンブラン」のアゴスティーナ・セガトーリ》1887年1-3月 油彩、カンヴァス
ファン・ゴッホ美術館蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

店名を象徴するような、タンバリンを模した机が印象的ですね。手にタバコを持った、やや気だるそうな女性がセガトーリです。

注目したいのは、女の背景に描かれた浮世絵。きっとゴッホが収集したお気に入りの作品だったのでしょう。残念ながら作品名は特定されてはいませんが、浮世絵にハマりすぎて、展覧会まで開催してしまったゴッホの本気の入れ込み度合いが伝わってきますね。

ゴッホが取り憑かれた浮世絵の魅力とは?

ビングの店で、思う存分浮世絵の研究を重ねたゴッホ。彼は、同時代の作家の誰よりも深く浮世絵に傾倒し、その研究の成果を自身の画風にも反映させていきます。

では、浮世絵の何がゴッホをそれほど心酔させたのでしょうか? そこで、ゴッホの感性に深く訴えかけたと思われる、3つの要素をピックアップしてみましょう。

浮世絵の魅力1:自由で鮮やかな色彩表現

浮世絵を研究するため、ゴッホは実際に浮世絵作品を複数模写しています。その際、彼が一番惹きつけられたのが、浮世絵の自由な色彩感覚でした。

(左)広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」1857年 木版画
(右)フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く梅の木、広重作品模写》1887年10-11月 油彩、カンヴァス
いずれもファン・ゴッホ美術館蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation) 

こちらは、歌川広重「江戸名所百景 亀戸梅屋舗」と、ゴッホが模写した作品の比較です。まず、広重が描いた作品の空の色を見てください。実際の空の色ではまず出現しないピンク色で摺られていますね。

このように、浮世絵では、しばしば実景とは異なる大胆な色調で描かれることがありました。江戸時代の日本人にとっては、こうした浮世絵の自由な色彩感覚は、慣れっこだったと思いますが、当時の西洋人には非常に新鮮に映ったことでしょう。

歌川広重「東海道五拾三次之内 箱根 湖水図」 *アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

実際、ゴッホは以後の画業で、眼前に見えた風景の色彩を100%見えたままに描くことにはこだわらなくなります。それよりも、風景を眼前にした際、自らの感性が捉えたオリジナルの色彩で風景を表現するようになっていきます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》1888年6月17-28日頃 油彩、カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands 
▶︎「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」出品作品

たとえば、こちらの作品。本来、青系統で描かれることが多い空は黄色に、黄色や褐色で描かれることが多い麦畑は紫に光っていますよね。一般的な空と大地の色のイメージが逆転しているわけです。こうした自由な色彩感覚は、ゴッホが浮世絵を学んで得た非常に大きな成果だったといえるでしょう。

浮世絵の魅力2:平面的な画面

色彩の鮮やかさに加え、ゴッホを虜にしたのが、浮世絵の持つ平坦な色面表現でした。

ルネサンス期以降、西洋の画家たちは、透視図法や空気遠近法など、様々な描画技術を駆使して奥行きのある立体的な空間を絵の中に表現しようとしてきました。ゴッホもまた、オランダでの修行時代では、西洋の伝統的な遠近法に忠実に描いていました。

一方、日本伝統の大和絵から派生した浮世絵は、写実的な遠近表現よりも、デフォルメされた人体表現や、モチーフの装飾性を重視します。くっきりとした輪郭線を使って、線に囲まれた各領域を単色で描くことで印象的な構図を作ろうとしていたのです。

遠浅の海で潮干狩りをする人々、海岸沿いの入り組んだ地形が、非常に平面的なタッチで描かれている。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 登戸浦」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)
葛飾北斎「菊に虻」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

この点にもゴッホは反応。友人への書簡で「僕は現場で仕事し、素描で本質をつかもうとしている。本質とは、存在しようと存在すまいと、僕が感じ取った(物体の)輪郭で囲まれた面のことだ。そして僕はこの面を、単純化された色調で塗りつぶすんだ。」と語っています。


フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》1888年 ロンドンナショナルギャラリー蔵(引用元:The National Gallery

ここで、ゴッホの作品で最も有名な「ひまわり」を見てみましょう。所々に太い輪郭線を使って、平面的に描かれていますよね。また、このひまわりには「陰影」もありません。同時代のモネが描いた作品(参照:クロード・モネ「ひまわり」1881年 メトロポリタン美術館蔵)と比べてみると、ゴッホが浮世絵から多くの影響を受けていることが、ハッキリと理解できると思います。どうでしょうか?

浮世絵の魅力3:大胆な構図

ゴッホが浮世絵に惚れ込んだもう一つの特徴が、「構図」の面白さです。

庶民向けの商業美術であった浮世絵では、美人画でも名所絵でも、大胆かつシンプルで明快な構図が特徴です。それぞれの絵師は、最も表現したい部分を強調しつつ、余計な背景は思い切ってトリミングするなど、今で言うところの「ばえる」構図になるよう工夫をこらしました。こうしたドラマティックで斬新な構図もまた、ゴッホの心を捉えていたと思われます。

歌川広重(左)「富士三十六景 武蔵小金井」(右)「名所江戸百景 堀切の花菖蒲」*いずれもアダチ版復刻浮世絵

ゴッホが浮世絵から感銘を受けたポイントの一つが、しばしば作品の前景で大きくクローズアップして描かれた、生き生きとした植物などの姿でした。試しに、ゴッホが模写を重ねた歌川広重の作品を見てみましょう。

「富士三十六景 武蔵小金井」(上図左)では、桜の老木の幹が画面の上下に突き抜けるようにして、作品の左半分を覆い尽くしています。穴が空いていたり、根本が2つに枝分かれしたりと、エキセントリックな老木の幹は、作品に向き合う鑑賞者に強いイメージを与えています。

「名所江戸百景 堀切の花菖蒲」(上図右)では、咲き誇るアヤメが画面手前で非常に大きく描かれます。また。前景の強調に加えて、ユニークな視点設定も見逃せません。まるで地上を這いつくばる小動物や虫が、地面スレスレの位置からアヤメを下から見上げているかのように描いています。広重は、前景の対象物を単に強調するだけでなく、視点をずらすことで、より強い印象を与えるように構図を操作しているんです。

ゴッホは、広重が試行錯誤を繰り返して編み出した構図上のテクニックを、余すことなく吸収して自分の作品に援用しました。その集大成とも言える作品が、こちらのキャリア末期の作品です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《草地の木の幹》1890年4月後半 油彩、カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands 
▶︎「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」出品作品

本作「草地の木の幹」は、画家の周囲に広がる草地の微細な表情だけにフォーカスして描かれた作品。通常、風景画といえば眼前に広がるパノラマを描くものですが、ゴッホは足元の地面にも興味を持ち、生き生きとした色彩とユニークな構図で描いてみせました。

前景には、画面の外側へと斜めに伸びる2本の木の幹が大きく描かれています。幹は木版画のような太い輪郭線で囲まれ、黄色や水色など自由な色彩で配色されています。もう少し観察してみると、この絵は上から地面に向かって見下ろすような、特殊な視点で描かれていることにも気付かされます。つまり、本作には、さきほど検証した広重の風景画と同じエッセンスが詰まっているんです。浮世絵好きな方なら、展覧会で本作を見かけた時に、思わずニヤリとしてしまうかもしれませんね。

「浮世絵」に惹かれ、日本に理想郷を見出したゴッホ

浮世絵版画のビビッドで澄んだ色彩に心惹かれたゴッホは、浮世絵の中に描かれた日本や日本人に対して、ユートピア的なあこがれを抱くようになっていきました。コロンブスが、日本を「黄金の地ジパング」と呼んで探し求めた感覚に似ているかもしれません。彼は、1886年春から約2年間パリで画家修業に明け暮れた後、唐突に南仏アルルへの移住を決意します。

 

ゴッホがパリを離れた原因は、人間関係に由来する精神的な疲弊から逃れるため、という側面もありましたが、一番の理由は、彼が南仏アルルに「浮世絵」で見た風景と同じ匂いを感じたからです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家(通り)》1888年9月 油彩、カンヴァス ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)
▶︎「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」出品作品

ゴッホは、地中海沿岸の南仏特有の強烈な陽射しや明るい色彩に日本と同じ理想郷を見出しました。日本に行くことができないなら、せめて日本と同じ色彩を感じながら生きていたい。そう思ったゴッホは、南仏アルルの地で見た光景に、日本の浮世絵版画の澄んだ色彩を重ねながら傑作を量産していくのです。

アルルへと移住してからのゴッホの人生は、必ずしも彼が思い描いた通りのバラ色な展開にはならず、苦難続きではありました。ですが、1890年7月、オーヴェール=シュル=オワーズの地で亡くなるまでの3年間に描かれた作品群は、美術史におけるゴッホの評価を決定づける傑作揃いとなりました。

そのほとんどすべての作品に、日本の浮世絵から学んだエッセンスが息づいているのは、日本人として少し誇らしく思います。

展覧会情報

本稿でご紹介したゴッホ作品の一部は、現在開催中の「ゴッホ展──響きあう魂 へレーネとフィンセント」の会場でご覧いただくことができます。ぜひ会場で、浮世絵の美に共鳴したゴッホの作品に触れてください。(※日時指定予約制です。)

ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント
会 場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8−36)
会 期:2021年9月18日(土)〜12月12日(日)
休室日:毎週月曜日
    ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
時 間:9:30〜17:30(入室は閉室の30分前まで)
    金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
観覧料:一般 2,000円/大学生・専門学校生 1,300円/65歳以上 1,200円
    ※日時指定予約制。詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。
    ※高校生以下は無料(日時指定予約必要)。
問合せ先:050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト:https://gogh-2021.jp
 

協力 ファン・ゴッホ美術館、「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」、国立国会図書館
編集 「北斎今昔」編集部
※本稿掲載のゴッホ作品のうち、ファン・ゴッホ美術館所蔵品の邦題については、ルイ・ファン・ティルボルフ著『ファン・ゴッホと日本』(ISBN 90 6153 645 6, EAN 978 90 6153 645 1, D/2006/703/21)を参照しました。