怖い?切ない?愛おしい? 鬼才が描く鬼の世界「北斎 百鬼見参」展レポート
「森羅万象尽くして描かざるはなき」と評された浮世絵師・北斎が描いたのは、この世のものだけではありませんでした。観察力だけでなく、想像力も抜きん出ていた北斎。北斎とその一門が描いた鬼をテーマにした企画展「北斎 百鬼見参」が、北斎ゆかりの地に立つ墨田区のすみだ北斎美術館で始まりました。
北斎が描いた鬼に注目する
北斎と言うと「冨嶽三十六景」に代表される風景画を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし風景画は、彼の膨大な仕事のほんの一部。北斎は、生涯を通じてありとあらゆるものを描いています。特に40代の頃から手がけた読本(江戸時代の小説にあたるもの)の挿絵の仕事において、北斎は歴史上の人物や伝説上の動物などを数多く描くことになります。圧倒的な画力と豊かな想像力とを以て、北斎は波瀾万丈、奇想天外な物語をさらに魅力あるものとしました。そしてその中には、鬼の存在もありました。
すみだ北斎美術館で現在開催中の「北斎 百鬼見参」は、そうした北斎の版本における仕事を中心として、北斎とその一門が描いてきた鬼の姿を紹介しています。「鬼とはなにか」という1章から始まり、「鬼となった人、鬼にあった人」「神話・物語のなかの鬼」「親しまれる鬼」という4章構成で、様々なタイプの鬼を紹介。江戸時代の人々にとって、鬼がどのような存在であったかを探っていきます。
全体的に小さな画面の作品が多いですが、展示室には並々ならぬエネルギーが充満しています。多くの人が(おそらく)経験したことがない奇跡や怪異が、まるで目の前で起きているような錯覚を起こさせる描写は、さすが鬼才・北斎。雷鳴や爆風が画面の奥からこちらまで届きそうです。画面を埋め尽くすような北斎の描き込みにはただただ圧倒されます。
またスペクタクルな作品ばかりではなく、背筋が凍りつくような静かな恐怖を誘う作品も。会場には、夏にぴったりの北斎の人気作、怪談噺をテーマにした「百物語」シリーズも展示されています。
怨恨から魔除けまで
「鬼」という字は、もともと中国では死者の霊を意味していたそうです。日本の鬼が死後の世界と密接な関わりを持っていたり、元は人間だったりするのは、そうしたルーツに因るところが大きいのでしょう。ここに紹介する2図には、怨みを晴らすために鬼となって現れた死者の姿が描かれています。彼らは特別な力を授かって、敵に復讐します。
また超人的な能力を持つ鬼は、神の領域にも近いようです。現代の私たちにもおなじみの雷神様は、鬼の姿で描かれます。時に人命をも奪う自然の脅威は、鬼の所業とみなされることもあったのでしょう。こちらの雷神図において、北斎は、渦巻く暴風を見開きの画面いっぱいに白と黒のコントラストで描き、黒い背景の中に雷神の姿を浮かび上がらせています。雷神の姿には威厳すら感じないでしょうか。
そして鬼は、忌避するものとしてだけではなく、私たちの暮らしを守る存在としても造形化されていきます。屋根の上の鬼瓦は良い例でしょう。護符として広まった「角大師」は、疫病神をも退散させる強い法力を備えた僧、良源の姿を写したものとされています。このようなどこか親しみのわく鬼たちも紹介されています。
語り、受け継ぐ、人々の想いと文化財
さて今回の「北斎 百鬼見参」展の注目の一枚が、北斎の肉筆画「道成寺図」です。このたびすみだ美術館で同作の修復を行い、画面上にあった折れや穴をなくしました。またその際に表具を一新し、画題の「道成寺」に沿った意匠の裂地で表装し直しました。文化財をより良い状態で次の時代に伝えていくことも、美術館の大切な仕事です。会場では、能楽「道成寺」で使用する能面や装束とともに、装いを新たにした北斎の「道成寺図」が展示ケースにおさめられています。
能の「道成寺」は、紀州道成寺に伝わる伝説に取材した演目です。昔、僧侶に恋した女性が思い募って大蛇となり、道成寺の釣鐘の中に身を隠した僧を焼き殺してしまいました。能楽ではその後日談が描かれ、蛇の化身である白拍子が道成寺に現れます。蛇が正体を表す場面から、能役者は角の生えた般若の面をつけます。
北斎が描いたのは「道成寺」の見せ場の一つであり、能舞台の柱に役者が巻き付くような演技をする「柱巻き」の場面。ただし役者のポーズは実際の能舞台よりもいくぶん大げさです。般若の面もどことなく血の気を帯びて見え、あたかも能役者の身体を依代に鬼女が現出したかのよう。北斎が自身の能楽の鑑賞体験をもとにこの作品を描いているかはわかりませんが、能舞台の一場面を描写したかったというよりも、人々に語り継がれ芸能として伝えられるに至った女性の妄執そのものを描きたかったのではないかと思えてきます。
北斎は90歳という長寿を全うしますが、いまわの際に「あと10年、いやあと5年生きながらえることができれば、真の絵描きになれたのに」と言ったと伝えられています。画道ひと筋の一途さは、現世への執着と表裏一体のものとも言えます。異形となってまで想いを貫く「道成寺」の鬼の姿に、自ら「画狂人」と名乗った北斎も共感する部分があったのかも知れません。
鬼へのシンパシー
浮世絵のそもそもの語源が「憂き世」にあることからも分かる通り、江戸時代の人々も多くのしがらみの中で生きづらさを抱えていました。人間社会のルールから逸脱しながらも強く逞しく生きる鬼の姿は、恐ろしくもどこか魅力的に私たちの目に映ります。ほら、魅力の「魅」という字にも、鬼が隠れていますよね。
鬼という存在を通じて顕在化される、私たちの欲求や願望。様々なルーツを持つ鬼たちを北斎はどのように描き分けているのか、ぜひ会場でじっくり作品を鑑賞してみてください。ご遠方の方には、展覧会公式図録として講談社から刊行された『北斎 百鬼見参』がおすすめです。
展覧会情報
会 期:2022年6月21日~8月28日
前期 6月21日〜7月24日/後期 7月26日〜8月28日
時 間:09:30〜17:30(※入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(※7月18日は開館、翌19日休館)
会 場:すみだ北斎美術館(東京都墨田区亀沢2-7-2)
観覧料:一般 1,200円/高大生・65歳以上 900円/中学生・障がい者 400円
お問合せ:03-6658-8936
公式サイト:https://hokusai-museum.jp/
文&撮影・松崎未來(ライター)
協力・すみだ北斎美術館
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