ふたつの国の民衆が愛した木版画 中国年画と日本の浮世絵の展覧会「珠璧交輝」展レポート
2022年9月23日より、日中友好会館美術館(東京・小石川)にて「~珠璧交輝(しゅへきこうき)~ 清代木版年画+UKIYO-E」展が開催されています。同展は、日本の江戸時代の浮世絵版画と、ほぼ同時代の中国・清代の「年画」を紹介し、ふたつの国の庶民が愛した木版画から、その影響関係や文化の類似・相違を読み解く展覧会。会期中には様々なイベントも開催し、日中国交正常化50周年の年を盛り上げています。
中国の「年画」を知っていますか?
江戸時代、木版印刷の技術発達により、日本では色鮮やかな浮世絵版画が誕生します。これほどのクオリティのフルカラー印刷を、庶民が手頃な価格で楽しめた文化は、世界の歴史を見渡しても他に例がなく、今日まで浮世絵が世界的な評価を得てきた所以です。
しかしもちろん他国に版画の文化が無かったわけではありませんし、浮世絵は大陸からもたらされた木版の技術や知識をベースとし、題材や作風も多くの影響を受けています。日本のお隣、中国にも庶民が暮らしの中で楽しんできた木版画がありました。それが「年画」です。
「年画」とは、春節(中国のお正月)に門口や室内に飾る版画のことを指します。一般に「木版年画」が知られており、数版の色を重ねる木版画と、木版で刷った図柄に手で彩色を施したものとがあります。新年を寿ぐおめでたい図柄が多く、豊作や一家の安泰・繁栄の願いが込められています。春節に家に絵を飾る風習は古くからあり、明の時代(1368〜1644)には木版による年画の量産が始まっているそうです。
「~珠璧交輝~ 清代木版年画+UKIYO-E」展は、日本の江戸時代の浮世絵と、中国の清代の「年画」を展示し、両国の文化の類似や相違を読み解く展覧会です。展示作品から直接的な影響関係を読み取ることは難しいかも知れませんが、鎖国体制下の日本に生きた浮世絵師たちが、海の向こうの世界に憧れを抱き、輸入された文物から様々なアイディアを取り入れていたことが感じ取れることと思います。
個人の娯楽、家族の幸福
「珠璧交輝」展に展示されている「年画」は、清の時代(1644〜1912)に制作された年画です。年画の制作は清代に一層盛んになり、天津の楊柳青(やんりゅうちん)、蘇州の桃花塢(とうかう)といった年画の名産地も生まれました。
ちなみに、日本で多色摺の浮世絵版画(錦絵)が登場するのは明和2(1765)年。その後、18世紀の終わりに「浮世絵の黄金期」と呼ばれる時代を迎えます。これは清王朝の最盛期と謳われる、第6代皇帝・乾隆帝の時代(在位・1736-95年)と重なります。日中両国で、ほぼ同時期に民衆の間に豊かな芸術文化が花開いていたことになります。
会場の作品脇のキャプションを見ていくと、浮世絵と年画とで、表記が少し違っているのに気づきます。浮世絵は「作品名」「絵師名」「制作年代」、対して年画は「作品名」「産地」「制作年代」となっています。年画の絵師の名前はどこに??
実は木版年画は、楊柳青や桃花塢といった産地がブランド化し、当時の絵師や工房の名前が伝わっていません。作品の中に絵師名や版元の印を確認できる浮世絵に比べると、より民芸的な特徴を持った版画だと言えます。また産地ごとの特色もあります。(もちろん記録としては残っていなくとも、富裕層向けの高級年画の制作を専門とする名工はいたでしょうし、各家庭に「毎年ここの年画を買っている」といったお気に入りの工房はあったでしょう。)
また浮世絵も年画も、幅広い画題を扱う点は同じですが、浮世絵が時事ネタや話題の役者・遊女にフォーカスした作品を積極的に描いたのに対して、年画はより普遍的な画題を描いています。これは、浮世絵が基本的に個人の趣味の買い物だったのに対し、年画が年に一度の家族の買い物だという需要の違いも大きいかも知れません。
日本の浮世絵版画は、職人たちの高度な技術によって版表現の新しい境地を開拓し、消費者心理を突いた商品企画を次々に打ち出し、江戸を中心とする都市生活者の好みに応えるように洗練を究めていきました。片や、中国の年画は、木版を利用した量産体制を早期に確立しながらも、一点一点手彩色する工程も放棄せず、温かみと大らかさを備えた伝統の画題・画風を大切にし、各地の地域色を映し出しながら一産業として発展しました。
その性質はだいぶ異なるものの、庶民の生活の中に根付いた文化の持つ力強さは共通していて、布教や権威の誇示を目的とした美術とは異なり、現代の私たちにも親しみやすく、そこに描かれた庶民の喜びや願いには共感を覚えます。
海の彼方への憧れ
近年研究が進み、日本の浮世絵と中国の版画に、影響関係があったことがわかってきています。類似する図像が見つかったり、技術面の伝播も見えてきました。2020年にNHKのニュースでも取り上げられ、記憶にある方もいらっしゃるでしょう。
改めて見ると、錦絵の祖・鈴木春信が描くミステリアスな表情の華奢な人物は、中国絵画の影響を多分に受けているように思います。また彼の描いた見立絵が中国の故事を多数題材にしているのは、中国の古典が当時の人々の教養であったことを物語っています。喜多川歌麿は中国の女性たちを題材にした三枚続の美人画を描いていますし、彼が描いた同時代の遊女たちが「唐土(もろこし)」や「蓬莱仙(みやひと)」といった中国を想起させる源氏名を名乗っているのは、当時の人々が中国の文化に対して、優美なイメージを抱いていたからに他なりません。
そして葛飾北斎は『新編水滸画伝』の作画を担当して江戸の水滸伝ブームに火を付け、歌川国芳は「通俗水滸伝豪傑百八人」のシリーズで水滸伝ファンを熱狂の渦に巻き込みます。そう、江戸の人たちはずっと中国の歴史や文化に憧れていたんです。一介の町絵師だった浮世絵師たちが、中国の事物を描くのにどのような資料を参照していたのか、詳しいことはまだまだわかりませんが、もしかしたら年画のような庶民向けの中国の版画にも触れていたかも知れませんね。
版画の面白さは、一点ものの美術品と違い、広く流通して多くの人が同じ図様を目にすることで、人々の暮らしや文化に大きな影響を及ぼす可能性を秘めている点にあるのではないでしょうか。版画は、国や言語の壁を軽々と飛び越えて、長い歴史の中で国際的な文化交流の一翼を担ってきました。浮世絵も年画も、諸外国の文化から多くのものを吸収し、また同時に多くの影響を与えています。
今回「珠璧交輝」展で日中の同時代の木版画を見比べることで、日本の浮世絵版画の突出したクオリティを誇らしく思うと共に、古来の風習を大切にし、版画を併用しつつも一点一点手で彩色する伝統も保持した中国の年画文化からも感銘を受けました。浮世絵の多色摺の技術開発の背景には、絵暦(カレンダー)の交換会の流行があります。「木版で美麗な絵暦をつくってみんなで楽しみたい」そんな発想の原点には、木版年画を飾って家族とともに新しい年を迎える中国の人たちへの共感があったかも知れません。
中国の年画の傑作が来日している貴重な機会、ぜひ秋の小石川へお出かけください。日中友好会館美術館のすぐお隣には、徳川光圀公(水戸黄門)の中国趣味や儒教的思想を反映した庭園・後楽園もあります。江戸時代の人々の中国への憧れを、より実感できるかも。
「~珠璧交輝~ 清代木版年画+UKIYO-E」
会 期:2022年09月23日(火)〜11月20日(日)
前期 09月23日〜10月23日
後期 10月25日〜11月20日
時 間:10:00〜17:00
※ただし、9/30、10/14、10/28、11/11は20:00まで開館 休館日:月曜日
会 場:日中友好会館美術館(東京都文京区後楽1-5-3)
観覧料:無料
お問合せ:03-3815-5085
公式サイト:https://jcfcmuseum.jp/
文・撮影 松崎未來(ライター)
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