赤い色に江戸の版画の変遷を見る「赤 ―色が語る浮世絵の歴史」展レポート
皆さんは赤という色にどのようなイメージを持たれるでしょうか? 正義? 情熱? 妖艶? 危険? 状況によってさまざまなイメージと結びつく色ですが、パッと目に飛び込んでくる強い色ですよね。浮世絵版画の歴史においても、その始まりから作品の根幹を支える重要な色でした。今回は、太田記念美術館で開催されている企画展「赤 ―色が語る浮世絵の歴史」を通じて、浮世絵版画の歴史を学んでいきましょう。
初期の浮世絵は一枚一枚塗っていた!
「浮世絵」といって多くの方が思い浮かべるのは、おそらく北斎や広重の風景画や、歌麿の美人画、写楽の役者絵といった色鮮やかな木版画の数々ではないでしょうか。18世紀に、これほどのクオリティのフルカラー印刷が広く庶民に普及していた文化は、世界的に見ても極めて特異でした。多色摺の浮世絵版画は、色彩に対する日本人の繊細な感性と高度なものづくりの技術の結晶と言えるでしょう。
ただし、この多色摺木版画は一朝一夕に生まれたものではありません。浮世絵版画も初めは墨一色のモノクロで、段階的に使用できる色の数が増えていき、私たちがよく知るフルカラーの版画になりました。現在太田記念美術館で開催中の企画展「赤 ―色が語る浮世絵の歴史」には、そうした江戸時代後期の印刷技術の発展を物語る貴重な作品が多数展示されています。
浮世絵が、独立した一枚の絵画として木版で制作され流通するようになるのは17世紀後期のことです。「見返り美人」などの美人画で有名な菱川師宣を筆頭に、人気の絵師たちの作品が墨一色の木版画で制作されました。このモノクロの浮世絵版画を「墨摺絵(すみずりえ)」と呼びます。それまで人気の絵師が描いた作品を所有することができたのは、一部の富裕層のみでしたが、木版による複製が可能になったことで、モノクロではあるものの、より多くの人が安価に作品を所有できるようになりました。
そして「墨摺絵」の誕生から程なく、人々はモノクロの画面に筆で色を塗るようになります。このときに用いられた絵の具が、赤系統の絵の具でした。おそらくモノクロの画面を華やかに見せるのに、赤が最も効果的だったのでしょう。初期は「丹(たん)」というオレンジ色に近い赤の絵の具が用いられ、やがてピンク色に近い「紅(べに)」も用いられました。このように、丹や紅で着色された墨摺絵のことを「丹絵」「紅絵」と呼んでいます。
手で彩色していたということは、この頃の浮世絵は、まだそこまで流通量も多くなかったはず。ですから、この時期の浮世絵は極めて現存数が少ないです。太田記念美術館の今回の展覧会では、そんな希少な作品が何点も出品されています。
色を求めて進化する浮世絵版画
華やかな仕上がりになるとはいえ、墨摺絵に一枚一枚着彩していくのは手間がかかります。やがて版木を用いて2、3色の色を加える「紅摺絵(べにずりえ)」が登場します。「紅絵」という用語があるので、ちょっとややこしいのですが、木版印刷の形式は「墨摺絵」から「紅摺絵」へ進んだ形になります。
一度でも木版画を制作したことがある方ならお分かりのとおり、図柄をずらさないように複数の色を版木を摺っていくのはかなり大変です。18世紀半ばの時点では、量産を前提とした際に、2、3色の版を重ねるのが技術的な限界でした。使える色の数が限定された中で、色版の代名詞のように「紅」が呼称に用いられているのは、やはり作品を華やかに見せる上で、赤系統の色が外せなかったということでしょう。
こちらが太田記念美術館の会場に展示されている紅摺絵の作例。巧みな配色で、子役の衣装や獅子頭、大輪の牡丹の花を表現しています。色の数の制約を全く不自由に感じませんね。しかし、日本人の色彩に対する飽くなき探求は続きます。
ついにフルカラー印刷へ!「錦絵」登場
そしてついに明和2(1765)年、フルカラーの浮世絵が誕生します。人々は、その美しさを錦の織物にたとえて「錦絵(にしきえ)」と呼びました。おおよそ100年ほどかけて、浮世絵版画は「墨摺絵(=スミ1色)」→「紅摺絵(=スミ+2、3色)」→「錦絵(=フルカラー)」と進化を遂げたのです。
「紅摺絵」から「錦絵」への進化は、単に使用できる色の数が増えただけではありません。制作工程においては画期的な技術革新がありました。それが「見当(けんとう)」の開発。「見当」とは用紙の位置合わせの目印のことで、使用するすべての版木の上に2ヶ所の見当を彫ることで、理論上は無限に版を重ねることができるようになりました。見当が完成したことで、摺の作業は精密かつ高速になり、浮世絵版画はより多くの需要に応えることが可能になりました。
錦絵が誕生したこの明和年間に圧倒的な人気を誇り、多くの錦絵を世に送り出した浮世絵師が鈴木春信です。太田記念美術館の企画展には、この春信の作品も展示されています。250年以上前の作品ですが、とてもカラフル。ここに紹介する作品は遊郭の一場面で、赤系統の色がなんとも艶やかです。
日用品の多くが自然素材で出来ており、発色の良い廉価な塗料など無い時代なので、庶民が日常生活の中で目にする色彩は、現代に比べればかなり限定されていたと思われます。きっと人々はこの色鮮やかな錦絵を、夢見心地で眺めていたのではないでしょうか。
赤に始まり、赤に終わる浮世絵の歴史
見当の発明により、その後百数十年にわたって、文字通り「多彩」な錦絵が制作されましたが、作品の色遣いにおいて、たびたび注目すべきトレンドがありました。そのひとつが、太田記念美術館の展覧会でも触れられている「紅嫌い」です。昨今、若い女性のファッションを中心にペールトーンが好まれる一傾向が見られますが、実は230年ほど前の江戸時代にも、彩度の低い(※明度は低くない)落ち着いた色調で画面を統一した錦絵が流行したのです。
「紅嫌い」という呼称は、紅、つまり赤系統の色が、華やかな錦絵の画面を構成する上で欠かせない色であったことを逆説的に物語っています。さらに1830年頃には、海外からベロ藍という新しい絵の具が輸入され、青のモノトーンで作品を見せる「藍摺絵」も登場します。いずれのトレンドも、赤系統の色を画面から排除することで、つまりはメインストリームへのカウンターとして、新奇性を打ち出したのです。
このように浮世絵版画の草創期から、浮世絵作品の根幹を成す色であった赤色は、その終焉においても大きな存在感を放ちます。明治時代になると、海外から新たに発色の良い赤い絵の具が日本にもたらされました。鮮烈な赤は、文明開化を象徴する色として、錦絵に多用されます。
二代歌川国輝が描いた東京のレンガ造りの街並みは、ご覧の通り空が真っ赤です。これは国輝個人の奇抜な色彩センスによるものではなく、当時の多くの浮世絵に見られた配色でした。目を射るような強い赤を多用した、このような明治期の錦絵を「赤絵」と呼んだりもします。
墨一色の版画の時代から、常に画面に色彩を求め、とりわけ赤い色を積極的に導入してきた浮世絵。その歴史は、海外からもたらされた新しい鮮烈な赤に彩られて幕を閉じることになります。(木版画の歴史は、この後さらに「新版画」という新しいステージへ引き継がれていくのですが。)
このように、太田記念美術館の企画展「赤 ―色が語る浮世絵の歴史」の会場では、浮世絵版画の変遷を貴重な作品の数々でたどることができます。また赤い色を効果的に用いた浮世絵のモチーフを取り上げたり、同じ図柄で色味の違う作例を並べて見せるなど、多角的に浮世絵の中の「赤」を取り上げています。
2枚の歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」。提灯の色を比べてみると、微妙に違います。右は少し黒く変色しているので、丹の絵具が含まれているのでしょう。摺りが違うと、絵具の配合も変化するようです。原宿の太田記念美術館で開催中の「赤ー色が語る浮世絵の歴史」展では赤い色に注目しています。 pic.twitter.com/JlA4ejWZrv
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) March 19, 2022
展覧会情報
赤という色を主軸に、およそ200年に及ぶ浮世絵版画の歴史を最初から最後まで網羅した展覧会の内容は、日本屈指の浮世絵コレクションを誇る太田記念美術館ならでは。展覧会では、ときに大胆に、ときに繊細に、浮世絵版画が引き出してきた「赤」という色の魅力を存分に堪能できます。また会場へ足を運ぶのが難しい方は、ぜひ同館のオンライン展覧会(note有料記事)を活用ください。全展示作品の画像と解説がいつでもどこでも見られますよ。
会 期:2022年3月4日(金)~2022年3月27日(日)
時 間:10:30〜17:30(※入館は閉館の30分前まで)
休館日:3月7日(月)、14日(月)、22日(火)
会 場:太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10)
観覧料:一般 800円/大高生 600円
お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/
文・松崎未來(ライター)
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