北斎生涯のテーマ、水の表現の集大成!「諸国滝廻り」
江戸の天才浮世絵師・葛飾北斎が生涯追究し続けたのが、水の表現でした。現代のように、数千分の一秒を切り取るカメラも、ビデオのスロー再生もない時代に、海上の細かな波しぶきまでをもリアルに描き上げた代表作「神奈川沖浪裏」は、世界で愛される傑作です。 そして、この不朽の名作を描いた後、北斎はさらに水の表現を究めた名シリーズを残しています。本記事では、そんな北斎の水の表現の集大成「諸国滝廻り」をご紹介いたします。
「諸国滝廻り」とは?
「諸国滝廻り」は、北斎の代表作である「富嶽三十六景」が出版された後、天保4(1833)年頃に同じ版元・西村屋与八(永寿堂)より出版されたシリーズ。江戸近郊に加え、日光や木曽、鈴鹿峠、吉野など日本各地の名瀑をテーマに、全8図が描かれました。取材した滝の多くは、阿弥陀如来や観世音菩薩といった神仏、また修験道にゆかりのある、人々の信仰の対象です。
「諸国滝廻り」というシリーズ名は、全国の選りすぐりの佳景を描いた名所絵といった体ですが、本作の主旨はむしろ滝という画題によって千変万化の水を描くことにあったといえるでしょう。シリーズを通して、とらえがたい水という対象物を自由自在に描き分ける北斎の描写力、そしてデザイン力がいかんなく発揮されています。
なお、シリーズ内で試みられている水の表現には、北斎がそれ以前に手がけた絵手本『北斎漫画』や、デザインの見本帳である『新形小紋帳』の中に、試行の足跡をたどることができるものもあります。何十年もかけて、水の表現を研究してきた北斎の集大成が、「諸国滝廻り」と言えるのです。
北斎がとらえた激しい水の動き
水の表現を追究したこのシリーズにおいて、北斎のさまざまな工夫を、まずは「しぶき」と「流れ」に着目して見ていきましょう。
孝行息子の伝説を持つ岐阜県の養老の滝を描いた「美濃国養老の滝」では、垂直に落下する水流のスピード感を見事に表現しています。高いところから勢いよく落ちた水があげるしぶきを、北斎は白と濃淡の青の点で描き表しました。正円に近いものや楕円形のものなど、その形状から、大きさ、そして点同士の絶妙な間隔まで、無数の点を驚異的な集中力でもって描き出しています。
日光山中にある霧降の滝を描いた「下野黒髪山きりふりの滝」。霧降の滝は二段に分岐しており、その渓流の変化が美しい滝です。ごつごつとした岩塊にぶつかった水が、一度せき止められ、岩に沿って流れを変化させていく様を、北斎は輪郭線とグラデーションをうまく用いて描き出しています。
とどまる水をも表現した北斎
水の表現と聞くと、まず頭に浮かぶのは、流れゆく水、つまり動きのある水ですよね。しかし北斎は、静かにその場にとどまる水さえも、浮世絵に描き表しました。
「木曾路ノ奥阿弥陀の滝」は、日本三霊山の一つである白山を参詣する人々が滝行をする滝を描いた作品です。この作品の中で北斎は、水が滝壺へ落ちて行く手前、ちょうど作品の本来の視点からは見えないけれど、水が一時的にとどまっているであろう部分を、持ち前の想像力で抽象的に描き出しました。
様々な太さのうねうねとした線は、日本古来より伝わる観世水(かんぜみず)という文様を北斎がアレンジしたもの。水があふれだす直前の部分がデザイン的に描かれていることで、流れ落ちていく水の勢いがより強く感じられます。
そして、今や日本の政治の中心である東京・永田町のあたり、赤坂溜池に流れていた滝を描いた「東都葵ヶ岡の滝」には、溜池から静かに流れ落ちる滝が描かれています。
よく見てみると、白から藍のグラデーションで描かれた上の溜池は静まり返っており、ほとんど動きを感じさせません。滝口に近づくにつれて濃くなる青の色合いからは、少しずづつ水がこちら側に集まってきている様子が伝わってきます。
ざばざばと落下する滝からは細かなしぶきがたっていて、壁に沿って水が落ちていくさまが手に取るようにわかります。落ちてきた水によって波立つ水面。滝の落下地点に近いほど波が激しく描かれており、北斎の観察眼の鋭さがうかがえますね。
長年の間、北斎が追い求め続けた水の表現。その集大成である「諸国滝廻り」の中で、北斎は水の静も動も自在に描き表しています。
文・「北斎今昔」編集部
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