浮世絵の宝庫・ボストン美術館には江戸時代の北斎の版木が眠っていた!

浮世絵の宝庫・ボストン美術館には江戸時代の北斎の版木が眠っていた!

近年、海外の著名な美術館・博物館の所蔵品を紹介する大型美術展が多数開催されています。モネ、ゴッホ、ルノワール、そして、歌麿、写楽、北斎、広重……そう、実は浮世絵の名品たちは海外の美術館・博物館にも。しかも米国ボストン美術館は、浮世絵の版木まで所蔵していたんです!

日本のお宝が眠る米国・ボストン

浮世絵は19世紀に海を渡り、西洋の人々を虜にしました。世界中の愛好家が浮世絵を収集したため、世界各地にはすばらしい浮世絵のコレクションがあります。中でも質量ともにトップクラスなのが、米・ボストン美術館の浮世絵コレクション。

1986年のボストン美術館外観。(撮影:アダチ版画研究所)

明治時代、日本の美術文化の振興に努めたお雇い外国人のE・フェノロサ(米・1853-1908)、そして日本美術院の創設者であり、美術行政家・美術運動家の岡倉天心(1863-1913)の両名が、同館の東洋部の起ち上げに奔走し、浮世絵に限らず多くの日本美術が同館に収蔵されることになりました。

彼らが日本の文化財を国外に流出させた、という批判もあります。しかし、とりわけ東京を中心にした文化であった浮世絵に関しては、国内での評価がさほど高くなかった明治期に、良質な作品を収集し国外に持ち出し広く紹介した人々がいたからこそ、大正12(1923)年の関東大震災、そして昭和20(1945)年の東京大空襲による消失を免れ、今日の世界的な評価を確立できたとも言えます。

ボストン美術館の中国・日本美術部長に就任した岡倉天心。日本文化を紹介する欧文書も数多く刊行。写真は、天心没後にそれらを日本語に訳しまとめた『天心先生欧文著書抄訳』。欧米の人々に向けて、日本・東洋美術史を体系的に図解していたことも分かる。(参照:国立国会図書館デジタルコレクション

ボストン美術館では、優秀な学芸員や研究者たちの手により、適切な管理体制の下で、日本美術の研究と米国内外での紹介が進められています。その成果として、近年、多くの美術作品が日本での里帰り展を実現しているのは、ご承知の通りです。

江戸時代の版木が見つかった!

さて、少し時を遡りましょう。昭和61(1986)年、日本の浮世絵研究者と木版画の摺師が、米・ボストン美術館の収蔵庫を訪れました。目的は同館に眠る浮世絵の版木の調査。そうです、実はボストン美術館には、浮世絵だけでなく、浮世絵を制作するために使用した江戸時代の版木も収蔵されていたのです。

荒縄で縛られたまま収蔵庫に保管されていた版木のほとんどは、フェノロサと同時期に来日していたW・ビゲロー(米・1850-1926)が、明治22(1889)年の帰国の際に持ち帰ったもの。なんとその総数は527枚。浮世絵研究者の菊地貞夫氏とアダチ版画研究所の中山吉秋氏は、混在した複数のパズルのピースを整理するように、版木の一枚一枚(多くの版木が両面を使用)が、いつの時代のどの作品のどの部分に当たるのかを延々と調べ上げていきました。

ボストン美術館での現地調査に同行した摺師・仲田昇氏。(撮影:アダチ版画研究所)

また、版木整理の作業と並行し、摺師の仲田昇氏(アダチ版画研究所所属)は、美術館の修理室で一部の版木を摺ることに。傷みの激しい版木が多かったものの、その場で図柄の細部や状態を確認できたことで、調査は大きく前進しました。

現代の職人の手によってよみがえる!

調査の結果、浮世絵の歴史の初期を飾る鳥居派から、黄金期の喜多川歌麿、歌川豊国などの浮世絵作品の版木が確認されました。中でも最も注目されたのが、葛飾北斎の手による三つの絵本『東都勝景一覧』『隅田川両岸一覧』『東遊(東都遊)』の版木が、全ページほぼ揃っていたこと。

葛飾北斎『隅田川両岸一覧』。写真は、ボストン美術館が所蔵していた古版木を再摺したもの。(画像提供:アダチ版画研究所)

ボストン美術館には北斎の図案集『北斎模様画譜』の版木15枚も。写真は古版木を再摺し製本したもの。(撮影:アダチ版画研究所)

版木に使用する山桜材は貴重であるため、江戸時代から、役目を終えた浮世絵の版木は、表面にかんなをかけ、また新たな作品の版木として再利用してきました。これだけの量の版木が残っていたことは、まさに奇跡という他ありません。

そして日本には、これら浮世絵を制作した彫・摺の技術が、明治・大正と途絶えることなく、職人の手から手へと受け継がれていました。江戸時代から継承された、版木と技——ここに、ボストン美術館所蔵の古版木の再摺プロジェクトがスタート。調査された版木群が日本に持ち運ばれ、アダチ版画研究所所属の職人たちが、浮世絵を再び摺ることになりました。

昭和期のアダチ版画研究所の工房。(撮影:アダチ版画研究所)

収蔵庫の古版木群は、美術作品として登録されてはいなかったものの、歴とした美術館の収蔵品。職人たちにとっては、当たり前の版木の取り扱い(洗う、絵具をつける、等)も、版木の表面に変化を加える行為には違いありません。

一部のボストン美術館の関係者は、日本の民間の小さな版画工房への版木の貸出や再摺に、はじめは難色を示していました。しかし、職人たちの高度な技術で現代によみがえった浮世絵を見て感激し、このプロジェクトの意義を即座に理解したのです。

古版木の再摺プロジェクトをカラーページで特集した『サンデー毎日』。1986年9月14日号表紙には「北斎が歌麿が帰ってきた!」「全43点 ボストン美術館に眠っていたオリジナル版木を180年ぶりに刷ってみた」の文字が。

古版木を再摺し製本した『隅田川両岸一覧』。ボストン美術館公認事業として、同館のスタンプが型押しで入れられた。(撮影:アダチ版画研究所)

当時のボストン美術館の館長は「江戸時代の浮世絵の版木がこうして保管されていたことは大変素晴らしいことです。しかし、その制作技術が今日まで継承されているという事実は、さらに素晴らしいことでしょう」と、職人たちの仕事を賞賛しました。

この一連のプロジェクトは、テレビ番組で放送され、その成果は、特別展「ボストンで見つかった北斎」で紹介されました。渋谷のたばこと塩の博物館をはじめ、全国8つの会場で開催された同展は、浮世絵の美しさ、日本の出版文化の多様さ、そしてなにより文化財や伝統的な技術を守り伝えていくことの大切さを、多くの人に訴えたのでした。


特別展「ボストンで見つかった北斎」会場展示風景(1987年5月大阪髙島屋にて)。ケースの中にボストン美術館で発見された古版木が展示されている。(撮影:アダチ版画研究所)

展覧会のチラシには、糸井重里氏による「こんなにたくさん、外国で眠っていたんだね。」のコピー。デザインは浅葉克己デザイン室。
【記録】ボストンで見つかった北斎展 ボストン美術館の版木新発見
会 期:1987年1月15日(木)~2月8日(日)
会 場:たばこと塩の博物館(東京都渋谷区神南)※現在は東京都墨田区に移転
巡回先:長野・東急百貨店(2/20〜3/1)、名古屋・三越(3/6〜11)、米子・米子市美術館(3/15〜29)、下関・下関市立美術館(4/4〜26)、大阪・髙島屋(5/7〜12)、横浜・髙島屋(5/14〜26)、京都・髙島屋(6/4〜14)
主 催:東京放送、他(※会場により異なる)
後 援:外務省、文化庁、アメリカ大使館、毎日新聞社、他(※会場により異なる)
協 力:ボストン美術館、アダチ版画研究所
協 賛:日本たばこ産業株式会社

監 修:菊地貞夫(日本浮世絵協会理事長)、永田生慈(太田記念美術館学芸課長)、岩崎均史(たばこと塩の博物館)
プロデューサー:並木章(東京放送)、山口卓治(ブンユー社)
会場構成・演出:内田繁(スタジオ80)
アート・ディレクター:浅葉克己
コピー:糸井重里
照 明:藤本晴美(MGS)
プロダクト・コーディネーター:山田節子
解 説:定村忠士、岩崎均史
会場施工:ビジュアルスペース
※所属・肩書はいずれも1987年当時のものです。

文・「北斎今昔」編集部