【インタビュー:映画「HOKUSAI」監督・橋本一】怒り、泣き、笑う北斎のリアリティ
2021年5月28日公開の映画「HOKUSAI」は、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が主人公。世界的な知名度を誇る北斎ですが、実はその生涯についてはあまり詳しくは分かっていません。同作は、柳楽優弥さんと田中泯さんのダブルキャストにより、謎に満ちた北斎の90年の人生を新たな視点から描いた意欲作。映画「HOKUSAI」の北斎像はどのようにつくられていったのか。本作の監督を務められた橋本一さんにお話をうかがいました。
1968年生まれ。新潟県出身。日本大学藝術学部卒業後、1990年東映入社。テレビドラマ『御宿かわせみ』(沢口靖子版)にて監督デビュー。2013年独立。「相棒」「臨場」シリーズをはじめ、数多くの映画・テレビドラマの監督・演出を手がける。主な監督作品に、映画『新仁義なき戦い 謀殺』(2002年)『極道の妻たち 情炎』(2005年)『茶々 天涯の貴妃』(2008年)『探偵はBARにいる』(2011年)。現在、監督最新作『劇場版シグナル』が上映中。
北斎はなぜ波を描いたのかを問い続けながら
——橋本監督はプロットの段階から本作に関わっていらっしゃるとうかがいました。北斎の生涯を描く本作において、北斎の人物像はどのように構築されていったのでしょうか。
「彼はあの時代になぜ絵を描き、なぜ波を描いたのか、という問いからスタートしました。おそらくこれは完璧な一つの正解というものはない問いで、撮影現場でも、俳優さんたちとずっと考え続けていました。
北斎の人物にまつわる資料としては、明治期に書かれた『葛飾北斎伝』が知られています。ですが僕は、ここに書かれていることが全てではないだろうと思うんです。たとえば北斎は93回も転居をしたと言われていますが、そこには本人の意向とは別の事情もあったかも知れません。著者の飯島虚心は、北斎とは身分が異なり旧幕臣ですし、一つの側面だけが切り取られている可能性は十分にあり得ます。
現代の我々は彼の成功と世界的な知名度を知っていますが、必ずしも上手に生きた人だったかは分からないですよね。北斎って若い頃は特に、器用貧乏な人だったんじゃないかと僕は思うんです。技術もあるしなんでも描けるけど、自分が何を描いたら良いのか分からない。年を取って、そこは段々分かってきても、日々のことに怒り、泣き、笑い……そんなひとりの人間を描きたかったんです。
ですからこの映画では、北斎を超然とした人物ではなく、感情豊かな人物として描きました。とにかく、北斎の偉人伝にはしたくなかったんです。すごい人なんだけれど、決して偉い人ではなく、努力も苦労もした。制作の原動力には、嫉妬や競争心もあったのではないか、と想像を膨らませました。」
北斎は「絵は世界を変えられる」ということを、本気で信じていた人
——橋本監督が抱く北斎像のイメージを、より具体的にうかがえますか。
「北斎は、政治権力に与しない、自由奔放で絵ひと筋の人だったと考えています。ですが、浮世絵は大衆の娯楽ですから、ただ自分の好き勝手に描いていたわけではなくて、自分の作品の受け手のことを意識し、作品をどう届けるかということに非常に心を砕いていた人なんだろう、と。
そうして彼は『絵は世界を変えられる』ということを、本気で信じていた人なんじゃないかと思っています。『神奈川沖浪裏』が発売されたときの当時の人々の衝撃は相当だったでしょう。この波が巻き起こした世の中のうねりみたいなものは、もはや娯楽の域を越えていたと思うんです。この絵には、人を奮い立たせるような力強さがありますよね。僕自身、北斎の『冨嶽三十六景』の中でも一番好きな作品ですし、『立ち上がれ!』って言われているような気がします。
この時代、鎖国下ではありましたが、西洋の文物が日本にもたらされていて、実際に北斎は西洋の絵画を研究しているし、訪日したオランダ人から絵画制作の依頼も受けています。絵は国境すら越える力を持っている。彼がどれほど社会の変革を意識して描いていたかは分かりませんが、作品の持つ影響力は、理解していただろうと思っています。」
北斎の生きた時代と現代における表現の不自由さ
映画では、北斎が生きた時代の二つの改革(寛政の改革、天保の改革)における出版統制も描かれています。映画の予告編のナレーションでは「自由な表現が禁じられた時代」という説明が。
*映画の時代背景について紹介したこちらの記事もご参照ください。
映画「HOKUSAI」公開目前! 北斎はどんな時代を生きていた?(「北斎今昔」編集部/2021.05.10)
——悩み、もがき続ける北斎の姿からは、社会の生きづらさのようなものも透けて見えます。長年、映画やドラマのお仕事に携わっていらっしゃる中で、この時代と共通する表現上の不自由さのようなものは感じていらっしゃいますか?
「『自由な表現』という観点からすれば、北斎の生きた時代に比べて、いまの日本は非常に大らかだと思います。江戸時代は、非常に厳しい規制が布かれて、そこに抵触すれば死が待っていた。表現活動が生死に関わっていたんです。映画では、そのような当時の幕府の弾圧によって失われた多くの才能を象徴する存在として、戯作者の柳亭種彦を設定しています。
実際は、北斎と種彦は世代的にはそこまで離れていないので、永山瑛太さんというキャスティングはだいぶ若いのですが、おじいちゃん同士の話にしたくなかった。種彦を次世代の将来有望な若者として描くことで、この時代のやるせなさや切なさを強調しています。
個人的には、政治的な圧力よりも、お互いが監視者になる現代の『自主規制』に窮屈さを感じますね。たとえば、映画やドラマで殺人やレイプを取り扱うこと自体はあまり問題視されないのに、犯人を追いかける刑事が車に乗って急発進する際に、ちゃんとシートベルトを着用するかが問われたりするんですよ。なんだか理不尽というか。
規制として成文化されていない分、その時々の倫理観という曖昧な線引きの上で、みんなが誰かの顔色をうかがいながら忖度している。そういう状況は昔からあったけれど、今はちょっと異常なレベルではないでしょうか。そういう意味での不自由さは感じています。」
本物の浮世絵へのこだわり、細部に宿るリアリティ
映画「HOKUSAI」の劇中に登場する肉筆浮世絵は現存作品のコピーではなく、今回の撮影のために実際に画家の方が筆で描いたもの。また浮世絵版画はアダチ版画研究所の復刻版を使用し、同所の職人も出演しています。
——新しい北斎像を創造する一方で、絵画制作のシーンはリアリティを追究されていたように思いました。
「日本の伝統的な絵画の制作過程って、あまり動きがなくて、映像にするには正直地味なんですよ……。だからこそ中途半端な演出を加えるより、リアルな描写に徹しようと。代わりに筆の持ち方などで、それぞれの絵師の個性を出すような工夫をしています。
歌麿は長い筆を手首で操るように持って、写楽は眼が悪かったという設定で画面に食いつくような描き方をしています。監修に入っていただいた東京藝術大学の向井大祐さんには、俳優さんに筆の持ち方から指導いただいて、いろんな作品を検証しながら、映画の不自然な演出については指摘してもらうようにしました。
現代の職人さんによる版画制作のシーンは、短い尺でしたが、北斎作品の影響力を物語る意味で必須でした。おそらく多くの人が、北斎の絵は知っていても、これが木版画で大量に流通したものだということはあまり意識していないと思うんです。
職人さんは大変でしたでしょうけれど、この部分の撮影は、ずっとカメラを回してしまいました。何より僕たち自身が、その制作の過程を目の前で見ることができて面白かったんですよね。現代まで浮世絵の制作技術が受け継がれていて、映画の中で江戸時代と同じように作られた版画が使えるって、本当にすごいことだなと。
それから俳優さんたちも、作品に向き合う絵師のリアリティを追究してくれました。老年期の北斎の制作を、弟子たちが並んで見守るシーンを撮影したときの話なんですが、田中泯さんが『あんな風に一列になって師匠の仕事を見ているのはおかしい』っていうんです。整然と並んだ人たちから視線を注がれる気味の悪さみたいなものを感じたんでしょうね。
こういうのって、俳優さんならではのリアルな実感だな、と。あのときの泯さんはもう完全に北斎になっていて、周りの人が動いたりすると『うるさい!』って怒られるくらいでしたから(笑)。それで、周りの人々が忍び足で北斎の様子をうかがいながら制作を見守るシーンが生まれました。筆先が紙の上を走る音などを消さないよう、音楽による演出を極力抑えたりもしています。」
北斎の生涯を四季になぞらえた構成、老いていく映像
——映画は4章の構成になっています。作品を通じて北斎の性格にも変化が見られ、章ごとに北斎を取り巻く人物や環境も変わるので、観る人によって北斎の印象がだいぶ異なると思います。自分なりの北斎像を持っている浮世絵ファンも、新たな北斎の一面に出会える作品ではないでしょうか。
「僕自身最後まで、北斎の人物像を掴みきれずにいたのが、キャラクターのゆらぎを生んでいるとも思います。が、いい意味で理解しづらい、安直な共感をつっぱねるようなアウトローとして描きたかったところもあるんです。この映画は、企画当初から内容も規模もかなり変わっているんですが、北斎の生涯を時系列に描くことになったときに、人の一生を春夏秋冬になぞらえた構成にしたいと思いました。
生命力にあふれた春から夏が柳楽優弥さんの北斎で、徐々に葉を落として秋から冬へ向かうのが田中泯さんの北斎です。映像でそれを伝えるために、美術や照明のスタッフが、各章ごとのカラーを変える工夫をしてくれました。
実は青年期と老年期で、現場の撮影の仕方そのものも意図的に変えています。物語の初めは、とにかくカット数も多くてガツガツ撮って、カメラのアングルもどんどん変えてみて、みんなヘロヘロになるまで撮りました。
それを北斎が結婚してからはグッと落ち着かせて、老年期は徐々にカメラの位置も動かさないようにしていきました。映像自体が、次第に老いて骨と皮だけになっていくような、そんな雰囲気をつくりたかったんです。
歳月が4章に分断されることで、分かり難さも出てきたと思います。老年期の北斎の隣には、奥さんのコトの姿はありません。そこを映画の中では、全く説明していないんです。もちろん北斎とコトの死別を描くこともできたと思います。ただ、涙を誘うようなシーンにすることは簡単ですが、コトの今際の際のセリフひとつで、そこに至るまでにあったはずの紆余曲折や苦労を、きれいに回収してしまう可能性もあって、それは避けたいと思いました。」
『葛飾北斎伝』への疑問から出発したという本作。多義的な解釈が可能な北斎像は、歴史上の人物に特定のイメージを付与する危険性や、映画というメディアの影響力に対する監督の思慮の表れのようにも感じられます。
人間はどこかで、この人生に続きがあって欲しいと思っている
——監督は、今後どんな作品を撮りたいと思っていらっしゃいますか?
「基本的にどんなジャンルでも面白がって撮れる人間なんですが、今度念願のホラー映画を撮ることになりまして、6月に撮影があります。あとはそうですね、僕自身、浮世絵の中でも月岡芳年の無残絵みたいなものに惹かれるんですけれど、いつか血みどろの残忍な描写の中にある美学みたいなものを映像で探ってみたくて。
一時期、地獄を描いた作品を撮ってみたいと思っていたんです。僕は新潟出身なんですが、新潟県の柏崎市に、閻魔さんが御本尊の御堂があって、内部に地獄絵図が展開しているんです。あれって、まさに映画館の役割を果たしていたんじゃないかと。
死によって機械の電源が切れるみたいにプツンと人生が終わるのではなくて、人間ってどこかで、その先があって欲しいって思っているんじゃないでしょうか。来世という救いにすがりたいわけですけれど、極楽はどこか嘘くさい。地獄はもちろん行きたくないけれど、のぞいてみたい。なぜ人間は地獄という世界を語り継ぎ、描いてきたのか。それを紐解くような作品を撮れたらな、と。」
奇しくも橋本監督のインタビュー取材の日(5月10日)は葛飾北斎の命日でした。その辞世の句は「ひと魂(人魂)でゆく気散じや夏の原」。数え年90歳までフル稼働した肉体と、世のしがらみから解放される清々しさを感じさせる一方、「気散じ(気晴らしの意)」という言葉には、仮初の夏を楽しみ、次のステージに向わんとする北斎の魂魄のバイタリティを読み取ることも可能なように思います。
——最後に、映画の公開を楽しみにされている方々にメッセージをお願いします。
「北斎というアーティストの生涯を扱った映画ですが、決してアーティスティックな映画ではありません。僕は何を撮るにしても、まずエンターテイメントにしたい、というのが信条。この作品も、多くの方に楽しんでいただけたらと思っています。」
映画情報
[監 督]橋本一
[企画・脚本]河原れん
[出 演]
⽟⽊宏 瀧本美織 津⽥寛治 ⻘⽊崇⾼
辻本祐樹 浦上晟周 芋⽣悠 河原れん 城桧吏
(※「辻」は一点しんにょう)
永⼭瑛太/阿部寛
[公 開]2021年5月28日
[配 給]S・D・P
[公式サイト]https://www.hokusai2020.com/index_ja.html
協力・S・D・P
文&撮影・松崎未來(ライター)
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