映画「HOKUSAI」公開目前! 北斎はどんな時代を生きていた?

映画「HOKUSAI」公開目前! 北斎はどんな時代を生きていた?

2021年5月28日より、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎を主人公にした映画「HOKUSAI」が全国公開されます。映画の予告編では「かつて自由な表現が禁じられた時代に、自分の絵を貫き続けた男がいた」というナレーションが入り、役人たちが絵草紙屋の店先に乱入し、浮世絵が燃やされるショッキングなシーンも登場します。北斎が生きた170年前、いったい何があったのでしょう。北斎が生きた時代を知ることで、映画をより深く鑑賞することができるのではないでしょうか。

映画『HOKUSAI』30秒予告

  

映画「HOKUSAI」にはどんな人たちが登場するの?

早速ですが、映画「HOKUSAI」の登場人物の生没年を年表上に並べてみました。(年表をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます。)

馬琴もかなり長生きなのですが、北斎が、ずば抜けて長生き(90歳!)。

北斎の20・30代に当たる18世紀最後の約20年は「浮世絵の黄金期」と呼ばれる時代です。役者絵・美人画の全盛期で、才能ある絵師たちが続々と登場し、浮世絵文化が一挙に花開きました。

そんな中、青年期の北斎(柳楽優弥)は、画力はあるものの、いまだ自分のスタイルを確立できずにいる、孤独な絵師。自分とさほど年齢の違わない歌麿(玉木宏)らの活躍を、歯痒い思いをしながら見つめています。さらには写楽(浦上晟周)という若き異才も登場し、焦りは募るばかり。映画では、自分の才能を活かせる絵の題材や媒体に、なかなか出会えずにいる北斎の葛藤が描かれます。

北斎の才能を見抜いた版元・蔦屋重三郎(阿部寛)。映画では、北斎の絵師としての成長を後押しするキーパーソンとなる。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

その後、北斎は小説の挿絵や絵手本などの仕事で、徐々にファンを獲得。互いに強烈な個性をぶつけ合える滝沢馬琴(辻本祐樹 ※「辻」は一点しんにょう)らと切磋琢磨しながら、話題作を生み出していきました。そして老年期の北斎(田中泯)は、娘や弟子たちに囲まれながら、絵師としてさらなる高みを目指します。代表作「冨嶽三十六景」を手掛けるのは、なんと70歳を過ぎてから。映画では、そんな北斎の不屈の人生が描かれています。

北斎が生きたのはどんな時代?

さて、では先ほどの年表に、さらに情報を加えて、この時代についてもう少し詳しく見てみましょう。(比較のために、映画には登場しない浮世絵師や戯作者も加えています。)

実は北斎と広重は親子ほど歳が離れています!

赤い帯になっている部分が2箇所あります。これは、歴史の教科書でおなじみの江戸の三大改革のうちの二つ、「寛政の改革」と「天保の改革」を示しています。これらの改革は、人々に質素倹約を徹底させるべく、生活の事細かな点にまでたくさんの禁止事項を設けました。特に浮世絵をはじめとする出版物は、当時もっとも影響力をもつマスメディアでしたので、厳しい取締りの対象となり、多くの絵師・戯作者が処罰され、活動の自粛を余儀なくされました。

そしてご覧の通り、生涯現役で長寿を全うした北斎は、浮世絵師として二つの改革を経験した稀有な存在なのです。映画「HOKUSAI」は、この点に着眼し、表現の自由を奪われた時代に、唯一無二の表現を求めて前進し続けた絵師という、今まであまり取り上げられることのなかった側面に光を当て、北斎の人物像に迫った作品です。

年老いてもエネルギー全開の北斎。画道ひとすじ、ひたすら邁進し続けるその原動力の根底にあるのは……。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

娘の応為(河原れん)や、同世代の柳亭種彦(永山瑛太)にとって、北斎はまさに寛政の改革の生き証人。北斎に向けられる、彼らの熱い眼差しは、苦難の時代を乗り越えてなお描き続ける表現者への敬意と羨望から生まれているのです。こうした時代背景を踏まえた上で同作を観ると、登場人物ひとりひとりの演技や台詞がより感慨深いものになってきます。

改革に知恵で挑んだ浮世絵師たち

では、次々と表現が規制される中、絵師たちはどのように作品を制作したのでしょうか。その一例を、歌麿の作品でご紹介したいと思います。

まずこちらをご覧ください。三人の女性が描かれていて、画面右上に「当時三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ」と書かれています。これは、当時評判だった美人三名(富本豊雛、難波屋おきた、高島おひさ)を描いた浮世絵です。この三人を描いた浮世絵は非常に人気だったようで、数多くの作品がのこっています。

喜多川歌麿「当時三美人」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

特に、おひさとおきたは、それぞれ両国と浅草の水茶屋の看板娘で、庶民のアイドル的な存在。彼女たちを一目見ようと、彼女たちが働くお茶屋は、連日多くの客で賑わったのだとか。ところが当局は、寛政5年の町触れで、遊女以外の女性の名前を浮世絵の中に書き入れることを禁じます。風紀が乱れる、ということなのですが、人々の心を掴み行動を起こさせる浮世絵というメディアを、危険視していたのでしょう。

これに対して、浮世絵師たちは「判じ絵」をもって対抗します。「判じ絵」とは、絵を用いたクイズのようなもの。こちらが、歌麿が描いた高島おひさと難波屋おきた。画面上部の枠の中にあるのが「判じ絵」です。

喜多川歌麿(左)「高名美人六家撰 高島おひさ」(右)「高名美人六家撰 難波屋おきた」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)
喜多川歌麿「高名美人六家撰」の判じ絵部分拡大(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

タカ、島、火、サギ
→たか・しま・ひ・さ=高島ひさ
菜っぱが2把、矢、海(沖)、田んぼ
→なにわ・や・おき・た=難波屋おきた

いかがでしょうか。あれもダメ、これもダメと次々に禁令が出る中、「判じ絵」の入った美人画はさぞかし人々にとって痛快だったことでしょう。

寛政8年の夏には、この「判じ絵」も禁止され、さらに寛政12年には美人大首絵(頭部あるいは上半身にクローズアップした肖像画)も禁止されます。まるで歌麿の美人画と禁令のいたちごっこ。それだけ歌麿の影響力が絶大だったということでしょう。そんな歌麿もまた、蔦屋重三郎亡きあと『絵本太閤記』を題材にした作品が不謹慎とされて処罰(一説に手鎖50日)を受けるのです。

こうした表現者たちの闘いを、若き日の北斎はずっと間近で見ていました。そうした多難な人生の中で最後に生まれるのが、「あの波」なのです。ぜひこうした時代背景を思い起こしながら、映画をご覧になってみてください。きっといろんな発見があると思います。「北斎今昔」では、映画の各登場人物に関する記事も掲載していますので、映画の予習にぜひどうぞ。

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映画情報

[タイトル]HOKUSAI
[監 督]橋本一
[企画・脚本]河原れん
[出 演]
柳楽優弥 ⽥中泯
⽟⽊宏 瀧本美織 津⽥寛治 ⻘⽊崇⾼
辻本祐樹 浦上晟周 芋⽣悠 河原れん 城桧吏
(※「辻」は一点しんにょう)
永⼭瑛太/阿部寛

[公 開]2021年5月28日
[配 給]S・D・P
[公式サイト]https://www.hokusai2020.com/index_ja.html   

文・「北斎今昔」編集部