永谷園のお茶づけがニッポンの食卓から広げた浮世絵文化

永谷園のお茶づけがニッポンの食卓から広げた浮世絵文化

おそらく40代以上の日本人の多くが、古今東西の名画との最初の出会いを果たした永谷園の「お茶づけ」のカード。30年以上に渡り、浮世絵をはじめ様々な世界の名画をプリントしたカードが商品に封入されていました。このカードが2016年秋に広重の「東海道五拾三次」で復活。キャンペーンが継続され、早5年が経ちます。永谷園が「お茶づけ」に浮世絵のカードを封入し続ける理由とは?  

ファンの声に応えた「お茶づけのカード」の復活

永谷園の看板商品である「お茶づけ」。1965年から97年まで、この「お茶づけ」のパッケージには、古今東西の名画をカラープリントした名刺大のカードが封入されていました。またカード裏面の応募券を集めると、抽選でカードのフルセットが当たるプレゼント企画も実施されていました。

まだインターネットが普及していなかった時代、浮世絵をはじめ、世界中の名画をフルカラーで見る機会は限られており、美術品を鑑賞するには、美術館や図書館の書架に足を運ぶ必要がありました。そうした中で「お茶づけ」に封入された名画カードは、多くの人にとって、美術との最初の接点になっていたことと思います。実際「北斎今昔」の読者からも「浮世絵を知ったきっかけは、永谷園のお茶づけのカード」という声をよく聞きます。

この好企画が、2016年11月に復活。現在、永谷園の「お茶づけ」のパッケージには、歌川広重の「東海道五拾三次」(全55種)のカードの1枚が封入されており、応募券を集めると抽選で55種のカードのフルセットが当たるキャンペーンが実施されています。企画復活の経緯や、現在までの反響について、株式会社永谷園ホールディングス 広報部長の小川さんにお話をうかがいました。

株式会社永谷園ホールディングス 広報部長 小川美朋さん

——まずは、2016年に「お茶づけ」のカードを復活させた意図や背景についてうかがえますでしょうか。

「もともと名画カードの封入は、検印紙(※商品出荷前の検品作業時に押印する用紙)の裏面を有効活用しようということで始まりました。弊社は、歌舞伎や相撲といった日本の伝統文化とも関わりが深く、カードにも日本文化を代表する浮世絵を印刷することになりました。

やがてパッケージング作業の機械化が進み、検印紙が不要になってからも、お客様へのサービスの気持ちでカードの封入を続けていました。しかしながら90年代に入りプレゼントへの応募数も次第に減り、もはや名画カードの役割は終わったろうと考え、カードの封入を終了しました。

ところが終了した途端、多くのお客様から終了を惜しむ声が寄せられました。中には、これを教材代わりに使用していたという教員の方も複数名いらっしゃいまして。復活の要望が非常に多かったのです。

2016年の復活には、そうした皆様からの声に加え、和食文化への国際的な関心の高まり、クールジャパン戦略と東京五輪の開催決定が追い風となりました」

歌舞伎の定式幕になぞらえた黄・赤・黒・緑の縞模様のパッケージ。1952年の「お茶づけ海苔」の発売以来、全くブレないデザイン。

ずっと記憶に残る商品

——以前「お茶づけ」に封入されていたカードは、浮世絵だけでなく西洋絵画の名作も紹介していたと記憶しています。今回の復活の際に、数ある名画の中から広重の「東海道五十三次」を選ばれた理由を教えてください。

「お茶づけに封入していたカードには『東西名画選カード』という名称がありました。広重、北斎の浮世絵からスタートして、ルノアールやゴッホといった印象派の絵画、さらには『日本の祭』という全国の祭を題材にした写真シリーズまで展開しました。しかし、お客様の大半は『お茶づけのカード=浮世絵』という認識だったんです。

様々なテーマに手を広げた結果、当初の趣旨がブレてしまい、消費者の印象が薄れてしまったのだと思います。ですから復活の際には原点に戻り、第一弾の広重の『東海道五拾三次』を採用しました。東海道の日本橋から京都まで、55図を揃える楽しみがあるというのもポイントでした」

広重の代表作「東海道五拾三次」は、1834年頃に版行された55図の浮世絵シリーズ。55図出版後に目次や収納袋が発売されたりと、江戸時代当時から人々が集めて楽しんでいたことがうかがえます。永谷園のお茶づけも、広重の浮世絵も、ともに庶民の暮らしの中で愛されてきたロングセラー商品。「お茶づけ」と浮世絵のカードとの相性は抜群です。

「お茶づけ」の袋を開ける瞬間、どんな図柄が入っているかな、と少しワクワクする。
広重が描く素朴でのんびりとした風景が、温かいお茶づけと共に、心に染みる。

——復活にあたり、従来のカードからの変更点はありますか?

「今回のカードでは、東京都江戸東京博物館の所蔵する『東海道五拾三次』の画像を使用しています。広重の『東海道五拾三次』は、江戸時代に何度も増刷されていて、様々な摺りのバージョンが存在します。いろんな美術館・博物館の所蔵品を参照した中で、東京都江戸東京博物館の所蔵するコレクションは、55図が揃っていることはもちろん、全体的に色味が穏やかで保存状態も良く、永谷園の『お茶づけ』のイメージにもぴったりだと思いました。

また、これまではカードの裏面の角に応募券が付いていましたが、今回のリニューアルで、応募券を外装の袋に印刷しました。カードの端を切らずに応募いただけるようになっています。それからプレゼントのフルセットのカード裏の作品解説も、2016年の復活の際に全面改訂しています」

——最近の懸賞型のキャンペーンでは、QRコードを利用したオンラインの応募が増えています。その場で当落が判明するようなものも多い中、昔ながらの応募方法を取られたのはなぜでしょうか?

「もちろん、そうした応募方法も検討はしたのですが、逆にこのひと手間を惜しまずにご応募くださる弊社のファンの方に、賞品をお届けしたいと考えました。またご高齢になった往年のファンの方に、昔と同じようにご応募いただきたい、という想いもありました」

確かに、切って集めて貼って、投函して待って……そうした小さな体験が記憶に残り、商品の愛着に繋がっていくような気がします。先日ラジオ番組の中で、ロックバンド・GLAYのボーカルを務めるTERU氏が、浮世絵の展覧会に足を運び、会場でメンバーへのプレゼントに浮世絵の復刻版を購入したと話されていました。その際、小学生の頃、永谷園の「お茶づけ」のカードを集めてプレゼント企画に応募した思い出についても触れていらっしゃいました。

幼少期の日常の体験がずっと記憶に残り、大人になって美術展に足を運んだり、親しい人に絵を贈るという行為に繋がっているのは、とても素敵なことではないでしょうか。

 

世代を越えて愛され続ける商品、お茶づけと浮世絵

——2016年に浮世絵のカードが復活した際の発表から、これまでに何度かキャンペーン期間が延長されています(※現在は2025年1月末まで延長)。これはキャンペーンが購買に結びついているということでしょうか。

「商品の売上には様々な要因が影響するため、キャンペーンの効果を測定するにあたっては、プレゼントへの応募数をひとつの指標にしています。これが驚くことに、ほとんど数字が下がらず、毎月安定しているんです。復活以来、賞品はずっと広重の『東海道五拾三次』一種類なのですが……。しかも、かつてのお茶づけのカードを知らない世代からの応募も予想以上にあり、美術・古典への若い世代の関心の高まりを実感しています。『お茶づけ』のカードがお客様の生活の中に浸透しているという手応えを感じ、何度かキャンペーンを延長し、現在に至ります。

『キャンペーン』と銘打ってはいるのですが、我々の中で『お茶づけ』のカードは、もはや商品の一部という認識です。お客様に我々の『お茶づけ』で笑顔になっていただく、そのプラスアルファと言えば良いでしょうか。お客様の声からも、このカードが、単なる商品のおまけの域を越えたものになっていることを実感します。カード復活の際には、新規性や話題性を打ち出した様々なリニューアル案が社内で出たのですが、最終的には長く継続できる形態を優先し、当初から期間の延長を想定していました」

抽選で当たる「東海道五拾三次カード」のフルセット。東京都江戸東京博物館が所蔵する優しい色合いの「東海道五拾三次」全55図を、手元で楽しめる。(画像提供:株式会社永谷園ホールディングス)

——「お茶づけ」の今回のキャンペーンに限らず、貴社は長期的な視野で事業を進めていらっしゃるように思います。これまで「味ひとすじ」という企業理念を掲げ、多くのロングセラー商品を世に送り出して来られました。商品の製造や開発においては、どのような点に配慮されていらっしゃいますか。

「永谷園の『お茶づけ』は発売以来、味も配合もほぼ変わっていないんです。時代の健康志向に合わせて減塩なども試みましたが、少し配合を変えるだけで味のバランスが崩れてしまう究極の黄金比なんです。何より、ちょっとでも味が変わるとお客様がすぐに気づかれる。もはや永谷園の商品というより、お客様の商品なんですね。

そうした守り続けるべき味がある中で、今までにないもの、オリジナリティを追究することが、ロングセラー商品を生み出すためには重要だと思います。弊社の企業体質は、非常に真面目です。食の安全性という面でも、ここまでするかというくらいに安全管理を徹底します。その実直さを大切にしながら、いかに既成概念を打破し、独自性のある商品をつくっていけるかが課題です。

たとえば『お茶づけ海苔』が発売された1952年は、まだインスタント食品自体が珍しい時代でした。『麻婆春雨』は中華料理にはない弊社の創作料理です。ラーメンを煮込むという『煮込みラーメン』の発想も大胆でした。現在のロングセラー商品の多くは、発売当時は突飛なものだったんです。時代を先取りする新しさに、お客様からの信頼が結びつくことで、息の長い商品になると考えています」

疲れた胃にも、お財布にも優しい、永谷園の「お茶づけ」。二世代、三世代とお世話になっている方も多いはず。
入れ替わりの激しい食品業界で、変わらない味がいつでもどこでも気軽に買えることはとても貴重。(画像提供:株式会社永谷園ホールディングス)

伝統を守り、革新を続ける永谷園。ロングセラー商品「お茶づけ」とそのカードの歴史には、近年重要視されている企業の「サステナビリティ(持続可能性)」や「カスタマーエクスぺリエンス(顧客体験)」の提供の本質が備わっているように思います。

小川さんの「もはや永谷園の商品ではなく、お客様の商品」という言葉は、商標を越えて生活文化に根付く永谷園の商品の性質を端的に表しているでしょう。そしてそれは、庶民の娯楽として普及し、今や国際的に評価の高い浮世絵版画の性格にもどこか通じてはいないでしょうか。永谷園の「お茶づけ」と浮世絵のカードは、これからも多くの人に、健やかで心豊かな暮らしを提供してくれることと思います。

取材協力・株式会社永谷園ホールディングス
文・松崎未來(ライター)