県外不出のコレクションで若き日の北斎の熱意に触れる 島根県立美術館『北斎-「春朗期」「宗理期」編』レポート

県外不出のコレクションで若き日の北斎の熱意に触れる 島根県立美術館『北斎-「春朗期」「宗理期」編』レポート

宍道湖畔に立ち、「日本の夕陽百選」にも選ばれた美しい景観を楽しめる島根県立美術館(島根・松江)で、2023年2月3日より、企画展『永田コレクションの全貌公開<一章> 北斎-「春朗期」「宗理期」編』がスタートしました。

島根県立美術館は、世界屈指の北斎コレクション所蔵館

皆さまは、島根県立美術館が世界屈指の北斎コレクションを所蔵していることをご存じでしょうか。同館は、松江市出身の実業家・新庄二郎氏(1901-1996)が蒐集した浮世絵(新庄コレクション)と、津和野町出身の北斎研究者・永田生慈氏(1951-2018)が蒐集した浮世絵(永田コレクション)の二つのコレクションを核として、総数3,000件を超える浮世絵を所蔵しています。内、北斎作品は半数を超える約1,600件! まさにワールドクラスの北斎コレクションです。

企画展の展示室入口。壮大な北斎ワールドへの入口。

そして北斎の画業を幅広く網羅した「永田コレクション」については、永田氏の遺志により島根県内の2つの美術館に限った公開となっています。つまり、この世界に誇る北斎コレクションは、島根県に行かなければ見ることが出来ないのです! 希少な名品を大切に守り伝え、多くの方に作品との出会いの場を提供したいと、島根県立美術館では「島根県立美術館・北斎プロジェクト」を立ち上げ、開館30周年の2029年度に向けて様々な事業を展開しています。

そのプロジェクトの大きな柱となるのが、今年2023年2月に<一章>が開幕した企画展「永田コレクションの全貌公開」。島根県立美術館では、全5章の企画展によって、今後、永田コレクションの全てを公開していきます!

展覧会を中心に、北斎作品の魅力やコレクションの価値を紹介する情報・コンテンツを積極的に発信していく「北斎プロジェクト」。オープニングセレモニーには島根県知事も出席。

北斎は、浮世絵師としてデビューした20歳から亡くなる90歳までの間、傾注した分野や画題、画風を目まぐるしく変化させ、画号も次々と変えていきました。そのため北斎の画業は、その時期に名乗った主な画号から「春朗期」「宗理期」「葛飾北斎期」「戴斗期」「為一期」「画狂老人卍期」の6期に大別されています。

今回の企画展<一章>は、北斎が浮世絵界にデビューした20歳から45歳ごろまでの「春朗期」「宗理期」に焦点を当て、約350点の作品を公開。若き日の北斎の作品のみで、これだけ大規模な展覧会を開催できるのは、世界中探しても、永田コレクションを持つ島根県立美術館だけではないでしょうか。

展覧会初日には多数の報道関係者が。メディアも注目する一大プロジェクトの幕開け。

画技を養い、根を張った「春朗期」

企画展の入口を入ると、まず展示してあるのが「北岑宛北斎死亡通知」。北斎が亡くなった朝に、娘のお栄(葛飾応為)が門人に宛てた手紙です。北斎の亡くなった日にちや時刻、葬式の日取りなど、北斎の死を詳細に伝える現存唯一の貴重な資料。この書簡の前に立ってみると、どこか物語の中の登場人物のように思えていた葛飾北斎という人間が、確かに存在し、生きていたのだという実感がしみじみとわいてきます。

葛飾応為「北岑宛北斎死亡通知」嘉永二年(1849)紙本墨書[永田コレクション・府川家資料](画像提供:島根県立美術館)

その横には、北斎各期の特徴を記した垂れ幕が、「画狂老人卍期(75~90歳頃)」「為一期(61~74歳頃)」「戴斗期(51~60歳頃)」「葛飾北斎期(45~50歳頃)」「宗理期(36~44歳頃)」「春朗期(20~35歳頃)」と、北斎の人生を遡るように吊るしてありました。年々見事に画技を発展させていった北斎は、デビュー当時、どんな絵を描いていたのだろうかと、この後の展示室で見られる作品に想いを馳せることができる、素敵な演出です。

期待が膨らむ展示室へのアプローチ。

北斎は、19歳のころに勝川春章という絵師に弟子入りしたとされています。その春章の下で名乗っていたのが「春朗」という名前。春章は歌舞伎俳優の個性をとらえた似顔で役者絵を描いて支持を得た絵師であり、その下で学んだ北斎も、役者絵が絵師としてのデビュー作でした。

葛飾北斎「(四代目岩井半四郎 かしく)」安永八年(1779)細判錦絵[永田コレクション](画像提供:島根県立美術館)

北斎が二十歳の年に出版された「四代目岩井半四郎 かしく」は、まだ表現に硬さが見られるものの、師の春章の筆致を模して細部まで丁寧に描いています。死の直前まで高みを目指し続けたと言われる北斎が、絵師としてのデビュー当初から真摯な姿勢で絵に向き合っていたことがうかがえます。

「北斎」を名乗る以前の作品をこれだけの点数まとめて見られる機会はとても希少。

作品一つ一つに付されているキャプションにも、北斎の若かりし日々を詳細に辿りながら展示を楽しめる工夫が施されていました。通常表記されている作家名・作品名・サイズ・制作年などに加え、本展のキャプションには、北斎が画中に入れている署名、そして出版当時何歳であったかといった情報が記載されています。この表記があることで「何歳で、何と名乗っていたころには、こうした絵を描いていたのだ」と、自分なりに北斎の成長や変化に気づくことができました。

作品のキャプション。

春朗期は、北斎の70年余りの絵師人生の中で、習作期と位置づけられています。この時期の北斎は、勝川春章を師としながらも、様々な画派の表現を貪欲に学び、技術を磨いたと言われています。「新板浮絵金龍山二王門之図」は、そんな北斎の研鑽が垣間見える一枚です。

葛飾北斎「新板浮絵金龍山二王門之図」天明期(1781~89)頃 大判錦絵[永田コレクション](画像提供:島根県立美術館)

浮絵とは、西洋の遠近法を取り入れて描かれた浮世絵の形式で、近景が手前に浮き出ているように見えることからその名前で呼ばれました。 本図は現在でも東京観光の名所として親しまれている浅草寺の仁王門を正面から捉えた作品で、透視遠近法を用いたり、樹木の葉に印影をつけたりと、北斎が西洋の絵画表現を意識していることが見て取れます。

ちなみに、本図は西村永寿堂という版元(※浮世絵の企画・制作監修を行う。現在の出版社の役割を担う。)から、天明期(1781~89)ごろに出版されています。実はこの永寿堂は、北斎が70代になってから発表した代表作「冨嶽三十六景」シリーズの版元。この時期に生まれた両者の関係が、その後半世紀を経て、今や世界に知られる風景画の傑作シリーズを生むのだと考えると、なんだか感慨深いものがあります。

本展のキャッチコピーは「これが北斎? これも北斎!」あなたの知らない北斎に会えるはず。

この他にも、五代目市川團十郎(市川鰕蔵)ら役者との交流や、曲亭馬琴、山東京伝といった、後に読本の制作を共にする作家との関わりなどがすでに見られ、北斎が春朗期に様々な人脈を広げていたことが分かりました。

努力が実り、世に評価された「宗理期」

1792年、北斎が33歳の時、師の勝川春章が亡くなります。その頃より、北斎は徐々に勝川派から離れていったようで、35歳になった北斎は「春朗」の名を廃して、琳派の流れを継ぐ「俵屋宗理」を名乗りました。北斎はこの襲名を機に、裕福な趣味人からの私的注文による摺物や、狂歌本の挿絵、そして肉筆画など、新たな分野に挑戦するようになります。

壮年期の北斎は、数多くの版本の仕事をこなしている。

また画風も一変し、温雅で抒情的な表現で人気を博しました。この時期の北斎が描いた、楚々とした優美な女性像は「宗理風」と呼ばれています。春朗期の作品と宗理期の作品とを比べると、女性の顔の描き方が随分違うのが分かります。

あづま与五郎 残雪・伊達与作せきの小万 夕照」は、実はとても珍しい逸品です。というのも、歌舞伎や浄瑠璃で知られる男女を八景になぞらえて描かれたこの作品は、本来であれば右の「残雪」と左の「夕照」の2図として切断されているはずのもの。浮世絵には、版木の一面に2図分の図柄を彫り、一度に二つの作品を摺り上げる「二丁掛(にちょうがけ)」という制作方法があります。「二丁掛」で作ることで、コストを抑え、より効率良く多くの人々に作品を楽しんでもらうことができたと考えられます。

葛飾北斎「(あづま与五郎の残雪 伊達与作せきの小万夕照)」享和期(1801~04)頃 中判錦絵(二丁掛)[永田コレクション](画像提供:島根県立美術館)

左右の図を見比べると、使われている色の種類がほとんど同じなのがお分かりいただけるでしょうか。この頃の北斎は既に、木版という技法の特徴を捉え、採算性を考慮しながら作品を描くスキルを身に付けていたと言えるでしょう。

こうして絵師としての実力を伸ばして高めていった北斎は、39歳の時「宗理」の号を門人へ譲り、琳派を離れて「北斎辰政」と改号しました。この改名を知らせるために、北斎自らが出資して制作し、知己へ配った摺物が「」だと言われています。

葛飾北斎「(亀)」寛政十年(1798) 摺物[永田コレクション](画像提供:島根県立美術館)

ユーモラスな3匹の亀の上部には、北斎の友人・稲葉華溪によって、北斎の信仰していた北辰(北極星)の光が増し、改名により益々北斎が活躍するように、との願いが記されています。のちに世界に轟く「北斎」の名を高らかに宣言した、まさに記念碑的な摺物ですが、現存数は少なく大変貴重な作品です。「北斎辰政」を号した北斎は、さらに「画狂人北斎」とも名乗り、宗理様式の作画を続けました。

狂歌本「みやことり」は、画狂人北斎と号した北斎が、43歳のころ手がけた作品です。狂歌絵本である本作は、この本の最終図に一首を寄せている狂歌師が北斎に作画を依頼したもので、隅田川を挟む両岸の本所・浅草近辺の市井の様子が23図に渡って描かれています。序文や本文の後に書かれた文章にも、わざわざ北斎の名前が挙げられており、北斎が「宗理」を名乗ってからの7年間で、摺物や狂歌本の分野で実績を重ね、世間で高い評価を得ていたことが読み取れます。

葛飾北斎・画『みやことり』享和二年(1802)大本 一帖[永田コレクション](画像提供:島根県立美術館)

やまと絵や漢画、西洋画の技法などを自在に操り、他の絵師には作り得ない世界観で人々を魅了した北斎。各時代の作品を網羅する「永田コレクション」によって、春朗期の学習が、宗理期に花開き始める過程を、実感をもって理解することができました。

島根に伝わった北斎「津和野藩伝来摺物」

葛飾北斎「曙艸(吉野山花見)」[津和野藩伝来摺物]寛政九年(1797)摺物[永田コレクション](画像提供:島根県立美術館)

そして若かりし日の北斎の作品は、江戸から遠く離れた島根の人々にも楽しまれていました。石見国津和野藩(現在の島根県津和野町)には、大量の江戸時代の摺物が伝来しており、同地出身の永田生慈氏は、そのうちの北斎の摺物118点と北斎門人らの摺物26点の計144点を自身のコレクションに迎えています。つまり現在それらは、島根県立美術館に収められているのです。

上品な色彩の小品が並ぶ「津和野潘伝来摺物」の展示室は、まるでジュエリーの展示会会場のよう。

今回の企画展には、この144点全てが出品されているという、驚きの大盤振る舞い。春朗期・宗理期の北斎の画風の変遷や、門人たちとの関係をギュッと凝縮して見ることができます。

島根県立美術館は楽しみ方無限大!

北斎が、歴史に名を残す天才絵師となるまでに重ねてきた、若き日のたゆまぬ努力が、とてもリアルに感じられる本展。浮世絵ファンなら行って損はないと断言できる、充実の内容となっています。会期は約2ヶ月ですが、前後期で展示作品を大幅に入れ替え、どちらの会期でも天才・北斎を知る上で重要な作品が展示されます。美術館では両会期来場の方に、素敵なグッズが当たる「北斎福引券」(前期展でのみ配布)も用意していますよ。

島根県立美術館外観(提供:島根県立美術館)

そして島根県立美術館の楽しみは、企画展だけではありません。冒頭にも触れた通り、宍道湖畔に立ち、美しい景観を楽しめる島根県立美術館。日没に合わせて閉館時刻を変動させている(冬季を除く)通り、この湖畔の夕陽を見るために来館する観光客の方も多いそう。館内には湖を眺めながら食事ができるフレンチレストランや、誰でも利用できるライブラリースペース、品ぞろえ豊富なショップも併設されており、一日中楽しめます。展示室は同日であれば何度でも再入場可能なので、ボリューミーな展示の途中で、広々としたロビーに出てソファでくつろいだり、ランチを楽しんだりするのもおすすめ。

2階の常設展示室(第2室)では、いつでも北斎の浮世絵と出会える。

また、ご来館の際には、2階の常設展示室もお見逃しなく。水辺の美術館ならではの「水」をテーマとした美術品、工芸品などが展示されています。常設展示室の第2室では、浮世絵コレクションの中から、常時30点程を展示しているので、「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」といった、老年の北斎の作品も鑑賞することができます。3月6日までは、永田コレクションの「神奈川沖浪裏」も展示されていますので、北斎好きの皆さんは、ぜひ足を運んでみてくださいね。

永田コレクションの全貌公開〈一章〉 北斎-「春朗期」「宗理期」編
会 期:2023年2月3日(金)〜3月26日(日)
時 間:【2月】10:00〜18:30(展示室への入場は閉館30分前まで)
    【3月】10:00〜日没後30分(展示室への入場は日没時刻まで)
 ※閉館時刻の詳細はこちらのページでご確認ください。
休館日:火曜日(ただし3/21は開館)
会 場:島根県立美術館(島根県松江市袖師町1-5)
観覧料(当日券/北斎展のみの場合):一般 1,000円/大学生 600円/高校生以下 無料
 ※コレクション展とのセット販売もあります。一般の方は、「オンラインチケット・前売券」でお得になります。
お問合せ:0852-55-4700
展覧会特設サイト:https://shimane-art-museum-ukiyoe.jp/exhibition/index.html

文・杉本奈緒(「北斎今昔」編集部)