「赤富士」再発見!〈その2〉 雄大な富士を表現する摺

「赤富士」再発見!〈その2〉 雄大な富士を表現する摺

今なお世界中で愛され続けている浮世絵師・葛飾北斎の最高傑作の一つ「凱風快晴(がいふうかいせい)」。日本人には「赤富士」の名で親しまれ、現在も様々なデザインなどに起用されている浮世絵版画です。今回は、そんな名作の制作工程の内、「摺」に注目しながら「赤富士」の魅力を再発見していきます。

シリーズ:「赤富士」再発見!
 〈その1〉北斎のこだわりを形にする彫
▶︎〈その2〉雄大な富士を表現する摺
 〈その3〉驚異の数字”4”と”7”

誰しもの心に焼き付く色のインパクト

北斎の不朽の名作「赤富士」は、観る者に一度見たら決して忘れられない強烈な印象を与えます。中でも、鮮やかな空の藍色と、ずっしりと聳える山肌の朱色の組合せは印象的。構図だけでなく、色でも富士の魅力を十分に伝えています。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「「赤富士」再発見!〈その1〉」の記事でもご紹介したように、庶民も楽しめる出版物として大量生産することが前提だった浮世絵は「版元・絵師・彫師・摺師」による完全分業制で、効率よく制作されていました。摺師の仕事は、彫師が彫り上げた版木を用いて作品を鮮やかに和紙に摺り上げること。

そして「赤富士」を象徴する「色」のインパクト。これは、浮世絵版画の素材や、鮮やかな発色を生み出す摺師の技術によって支えられています。

江戸時代から、浮世絵の和紙には楮(こうぞ)を原料にした奉書(ほうしょ)が使われてきました。奉書紙は耐久性が高く、水性の絵具をきめ込んだ時の発色と質感の良さも大きな特徴です。

摺師は「馬連(ばれん)」という道具を使い、奉書紙特有の長い繊維の中に水性の絵具を摺り込んでいきます。これによって、浮世絵独特の鮮やかな発色が生まれるのです。

浮世絵の立体感を生む「ぼかし」

浮世絵は木版画で作られる平面のものですが、北斎の描いた「赤富士」は、堂々と高くそびえ、立体的な広がりを感じさせます。この北斎の素晴らしい表現を支えている要素の一つとしてあげられるのが摺師の技、「ぼかし」ではないでしょうか。

北斎の代表作である「富嶽三十六景」のほとんどの作品に、画面の上部から帯状の「ぼかし」が施されています。藍色をはじめとするこの「ぼかし」を画面に加えるこ とで、空の広がりを表現することに成功しています。また、地平線などに淡く「ぼかし」を入れることで奥行きも感じられます。

この「ぼかし」は、平らな版木を布で湿し、刷毛で絵具を板にもみ込むようにして、板上に絵具のグラデーションを作っていきます。いわゆるアテのない部分で作業するので、それぞれの絵に合わせて「ぼかし」を摺っていくのはかなりの難易度です。

「凱風快晴」の摺り。水分を調整して、版木の上に絵具のグラデーションの層を作り上げる。(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

摺師が一度に仕上げる枚数、例えば200枚であれば、そのすべての「ぼかし」の階調が一定に揃うようになってようやく、一人前の摺師として認められるというわけです。熟練を要する大変難しい技術である「ぼかし」は、まさに摺師の腕の見せどころです。

富士に命を吹きこむ高度な摺の技

「赤富士」はご覧の通りぼかしを多用した作品。「富嶽三十六景」に共通する空の表現に加え、山腹の赤い部分と裾野の緑の部分、さらに山頂の濃い部分というように、山全体に使われたぼかしの技が、富士山の雄大さを表しています。

そして、先ほど説明した高難易度のぼかしの中でも、さらに技術を要するとされているのが、この「赤富士の山肌のぼかし」なのです。

「赤富士」で見られる幻想的な雰囲気は、赤と緑という補色の関係にある2色が、互いの色が薄くなっていく部分で重なることなく合わさっていることによって生み出されています。摺師たちは、赤色のぼかしと緑色のぼかしそれぞれを、200枚なら200枚すべて同じ幅のグラデーションに摺り上げなくてはなりません。

浮世絵の復刻を手掛ける現役の摺師たちも、「北斎の赤富士は、富士の山腹の赤い部分と裾野の緑の部分の境界を自然にぼかし合わせるのが、一番難しいところだ」と口をそろえるほど、このぼかしの表現は摺師としての技量が必要とされる部分です。

「凱風快晴」の富士山は、赤、緑、黒茶の3版のぼかしで表現されている。(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

普段何気なく見ている「赤富士」の印象的な姿は、熟練の摺師だけが摺ることを許される高度な技術によって支えられていました。北斎の求めるイメージと、それをかたちにする摺師の技が一つとなった結果、「赤富士」は今なお世界的傑作であり続けるのです。

文・「北斎今昔」編集部