富士山の色はなに色?:現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山①【PR】

富士山の色はなに色?:現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山①【PR】

日本一の山、富士山は2013年「信仰の対象と芸術の源泉」として評価され、世界文化遺産に登録されました。登録から10年、本連載「現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山」は、伝統の技術で現代の職人が復刻した浮世絵版画を通じて、文化遺産・富士山の魅力を改めて眺めます。

「青い富士山」のイメージを確立したのは誰?

もし「誰でもわかりやすい『富士山』のイラストを描いて」と言われて画材を渡されたら、おそらく多くの方が、山頂部が白い、青い富士山のイラストを描くのではないでしょうか。実際、各地で見える富士山は青っぽい色をしていますが、富士山が見えない地域の方にも、青と白のツートンカラーの山のイラストは「富士山」として通用します。「青い富士山」の典型的なイメージは、いつごろ定着したのでしょうか。

青と白のツートンカラーの山のイラスト。日本人なら、多くの人がこれを「富士山」と認識するはず。

現代の我々は、様々な写真や映像によって「青い富士山」のイメージを刷り込まれていると思いますが、そのルーツを探っていくと、江戸時代の浮世絵版画にたどり着きます。それ以前から富士山は絵画の題材となっており、御用絵師の狩野派などによって壮麗な山岳の姿が確立されていました。しかし「青い富士山」をはっきりと印象付けるような作品は見当たりません。

青っぽく見える遠くの富士山。太陽光の内、短い波長の光が空気中の塵などの粒子にぶつかり散乱することで、自分と富士山との間の空気の層が青く見えるからなのだとか。(Adobe Stock #593250922)

浮世絵版画の多色摺の技術は明和2(1765)年に誕生したと言われ、以降日本では豊かな色彩を伴ったイメージの複製と共有が可能となりました。「青い富士山」の共通イメージの成立は、これ以降と考えて良いと思います。では多くの人々に共有された「青い富士山」の作品は? それはおそらく葛飾北斎の「富嶽三十六景」でしょう。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」より。左上より時計回りに「尾州不二見原」「東海道程ケ谷」「駿州江尻」「神奈川沖浪裏」*いずれもアダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「富嶽」というタイトル通り、「富嶽三十六景」は富士山をテーマにした46図から成るシリーズ作品です。全図どこかしらに富士山が描かれており、そのうち36図の輪郭線が藍色で摺られています。「富嶽三十六景」の中でも特に有名な「神奈川沖浪裏」の富士山を見てみましょう。まさしく青(藍)と白の富士山です。

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(部分)*アダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「富嶽三十六景」は、天才絵師・葛飾北斎の類稀なる描画力と当時の富士山信仰を背景に、江戸のベストセラーとなりました。何千枚も版画が摺られ、広く流通したと考えられています。北斎の各図の富士山の描写はバラエティに富んでいますが、輪郭線を藍で摺ったことでテーマ性とシリーズとしての統一感が生まれ(輪郭線は墨で摺るのが通例)、「青い富士山」を人々に印象付けたことでしょう。

天才の型破り!「赤富士」

そうやって「富嶽三十六景」によって「青い富士山」のイメージを普及させた北斎ですが、自ら生んだ型を自ら壊す、まさに型破りな富士山も描いています。それが「富嶽三十六景」シリーズ中の「凱風快晴」。鮮烈な「赤い富士山」は一度見たら忘れられません。通称「赤富士」。

葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」*アダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「富嶽三十六景」の各図の作品名は、「江戸日本橋」「東海道程ケ谷」「駿州江尻」といったように、ほとんどが地名になっています。しかし3図だけ作品名で場所を特定していない作品があります。その1図が「凱風快晴」です。どこから見た富士山なのかは諸説ありますが、北斎にとってもシリーズ中で特別扱いの作品だったことが察せられます。

北斎は生涯に何度も雅号(絵師としての名前)を変えている。「凱風快晴」を描いた時の名前は「為一(いいつ)」。

「凱風快晴」も他の図同様に、輪郭線は藍色で摺られていますが、山肌は力強い赤と緑と、思い切った配色。ただ決してインパクトだけを狙った作品ではなく、眺めるほどにその姿は威風堂々としてエレガントに見えてきます。逆にこの赤い富士山をプレミアムな作品として見せることで、他の青い富士山が、よりスタンダードに見えてくる、とも言えるでしょう。

富士山の山肌が赤くなる現象は、晩夏から初秋にかけての早朝に、複数の気象条件が揃うことで見られます。北斎本人がこの現象を見て「凱風快晴」を描いたのかは分かっていません。しかし「赤い富士山」を、美しく特別なものとして多くの人に認識させたのは、この北斎の「凱風快晴」なのではないでしょうか。

「赤富士」は制作の難易度も超一級

「富嶽三十六景」中で王者のごとき貫禄を示す「凱風快晴」。北斎の才能は言うまでもありませんが、摺師(すりし)の高度な技術があってこそ生まれた名作でもあります。

「凱風快晴」では、富士山は山頂から山腹が赤くなっており、山裾は緑色です。この二色の境界は、緩やかなカーブを描くグラデーションになっています。伝統的な木版技法の一つで、色の濃淡の階調を見せる技法を「ボカシ」と呼びます。この部分の版木自体は平らで、板の上で摺師が絵の具の水分量を調整しながら濃淡の層をつくり、それを和紙に摺っています。


アダチ版画研究所所属の彫師が制作した「凱風快晴」の山の部分の版木と、その部分を同所所属の摺師が摺ったもの。(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

この「凱風快晴」の赤と緑のボカシは非常に難易度が高く、一定以上の技能を身につけた摺師でなければ摺れません。浮世絵版画の主要部分で、赤と緑という正反対の色(補色)のボカシを、ここまで隣り合うようにつき合わせる作例は珍しいです。

現代も江戸時代と同じ技術で浮世絵版画を制作しているアダチ版画研究所の工房の様子。(画像提供:アダチ版画研究所)

江戸時代からの技術を受け継ぎ、浮世絵の復刻を手がけているアダチ版画研究所の摺師に取材した際も、赤と緑の二色がフェードアウトする部分を自然に見せるために、とても神経を使うと話していました。赤と緑のボカシが重なり合ってしまうと濁った色の帯ができてしまいますし、逆に間が開くとスイカの断面のようになってしまうでしょう。

この鮮やかな「赤富士」の発売は、当時も多くの注目を浴び、浮世絵通を唸らせたに違いありません。こうした制作の面から見ても、「凱風快晴」は「富嶽三十六景」の中で別格の浮世絵と言って良いでしょう。誰もが親しみやすい「青い富士山」の典型を生み、「赤い富士山」の威厳に満ちた美を確立した北斎の浮世絵。現代まで続く作品の影響力に、改めて驚かされます。

現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山①

アダチ版復刻 葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」

浮世絵は美術館・博物館で鑑賞するもの、だけではありません。江戸時代から続く伝統の技術で、今も職人が浮世絵を制作し、販売しています。彫師が山桜の板を彫り、摺師が一枚一枚和紙に摺り上げる木版画の発色と質感は、やはり他のどんな印刷物とも違います。アダチ版画研究所の復刻版で、北斎が生んだ「赤富士」の美をぜひご堪能ください。

[価 格]絵のみ 14,300円(税込)/専用額付 27,500円(税込)
[画寸法]26.2 × 38.6 cm
[用 紙]越前生漉奉書
[購入方法]アダチ版画研究所 目白ショールーム、およびオンラインストアより

文・松崎未來(ライター)