北斎さんの富士山 〜復刻版で見る「富嶽三十六景」〜 (11)【PR】
連載「北斎さんの富士山 〜復刻版で巡る「富嶽三十六景」〜」は、アダチ版画研究所が制作した復刻版で、北斎の「富嶽三十六景」全46図を毎週2図ずつご紹介する企画です。前回の記事はこちら≫
作品No.26 「駿州大野新田」
束ねた芦を背に歩く五頭の牛。霧の中を水鳥が飛び立ちます。牛歩という言葉がありますが、この作品の中に流れる時間は、とてもゆったりと落ち着いています。
■ カクダイ北斎
ずんぐりした胴体に、アンバランスな細い脚。こんな山積みの荷物を運んでしまうのだからびっくりですね。近代に自動車が登場するまで、日本人にとって、牛は大切な駄獣(貨物を運搬する動物)でした。
■ ふじさんぽ
北斎が描いた大野新田は、現在も静岡県富士市に地名として残っています。東海道本線の吉原駅から東へ徒歩20分ほどの場所。この辺り一帯は浮島ヶ原と呼ばれる湿地帯でした。今回のふじさんぽスポットは、吉原から電車でもうひと駅、東田子の浦駅の北、湿原の面影をとどめる「浮島ヶ原自然公園」。
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作品No.30 「東海道江尻田子の浦略図」
田子の浦は、古くから富士の眺望で知られ、歌などにも詠まれてきました。それ自体が生き物のようにうごめく波の表現と、遠景の富士山のすっきりとした姿の対比が美しい作品です。
■ カクダイ北斎
藍色の長い山裾が、山頂の雪の白をより強調します。百人一首の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」を思い起こす方もいらっしゃるのでは。
■ ふじさんぽ
現在の静岡県富士市に田子の浦という地名がありますが、万葉の歌人が詠んだ田子の浦は、ここよりも西、富士川を越えた静岡市清水区の蒲原から由比にかけての海岸だったであろうと考えられています。作品名にある江尻は、由比よりもさらに南西です。かなり広範な地域をひとまとめにしたので「略図」と称したのでしょうか。北斎の作品を見てみると、浜辺にたくさんの人がいて、塩田であることがわかります。江戸時代、蒲原や由比は製塩業がさかんでした。ということで、現在の地名とはややズレますが、今回のふじさんぽは「蒲原海岸」。
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editor's note:2021年の干支は丑です。そこで今回は牛を描いた「駿州大野新田」を取り上げました。そして1月11日は「塩の日」ということで、塩田を描いている「東海道江尻田子の浦略図」を。ふじさんぽの地図をご覧いただくとわかる通り、「駿州大野新田」は現在の田子の浦のすぐ近くなので、新旧の田子の浦の風景をご覧いただいたことになります。
※ 葛飾北斎の「葛」の字は環境により表示が異なります。また「富嶽三十六景」の「富」は作中では「冨」が用いられていますが、本稿では常用漢字を採用しています。
文・「北斎今昔」編集部
提供・アダチ版画研究所
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