【インタビュー:田名網敬一】北斎の描線、記憶の中の光線

【インタビュー:田名網敬一】北斎の描線、記憶の中の光線

半世紀以上にわたり、日本のアートシーンを牽引し続けるアーティスト・田名網敬一。近年も、川崎市市民ミュージアムやギンザ・グラフィック・ギャラリーでの大々的な個展開催で注目を集め、アディダスやユニクロとのコラボレーションで幅広い世代からの支持を得ています。そんな田名網敬一先生と、浮世絵の制作技術を継承する職人とのコラボレーションがこのたび実現。新たな「現代の浮世絵」が誕生しました。現在、ギャラリー・NANZUKA(東京・渋谷)で開催中の個展会場で、田名網敬一先生に、浮世絵や木版画について、お話をうかがいました。

田名網敬一(たなあみ・けいいち)先生 
1936年東京生まれ。武蔵野美術大学を卒業。1960年代よりグラフィックデザイナーとして、映像作家として、そしてアーティストとして、メディアやジャンルに捕われず、むしろその境界を積極的に横断して創作を続け、その半世紀を優に超える活動の歴史と軌跡は、21世紀における新たなアーティスト像の模範として、世界中の若い世代のアーティストから絶大な支持を集めている。2019年には、adidas Originalsとのコラボレーション「Adicolor x Tanaami」コレクションを発表。その精力的な創作活動の様子は、同年4月に放送された情熱大陸にも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。また、同年秋にリニューアルオープンしたNY近代美術館(MoMA)にも作品が常設展示されるなど、戦後日本を代表するアーティストとして唯一無二の評価を受けている。近年の主要な展覧会としては、個展「No More War」(Schinkel Pavillon、ベルリン、2013)、個展「KILLER JOE'S (1965-1975)」(Fondation Speerstra、スイス、2013)、グループ展「Ausweitung der Kampfzone: Die Sammlung 1968 - 2000」(Neue Nationalgalerie、ベルリン、2013)の他、ポップアートの大回顧展「International Pop」(Walker Art Center、Dallas Museum of Art、Philadelphia Museum of Art 、アメリカ、2015-2016)及び「The World Goes Pop」(Tate Modern、ロンドン、2015)、「Oliver Payne and Keiichi Tanaami」(Hammer Museum、ロサンゼルス、2017)、「Keiichi Tanaami」(Kunstmuseum Luzern、スイス、2019)、「Tokyo Pop Underground」(Jeffrey Deitch、NY & LA、2019)など多数。また、MoMA (アメリカ)、Walker Art Center (アメリカ)、The Art Institute of Chicago (アメリカ)、M+ Museum for Visual Culture(香港)、National Portrait Gallery(アメリカ)、Nationalgalerie im Hamburger Bahnhof (ドイツ)といった世界中の著名美術館が、近年新たに田名網作品を収蔵している。

浮世絵からの引用と幼少期の記憶

——先生の作品の中には、たびたび浮世絵のモチーフが登場しているようにお見受けします。今回の個展会場の中央のインスタレーションに見られる太鼓橋も、浮世絵のモチーフでしょうか。

NANZUKAで開催中の個展「記憶の修築 第二弾」の会場風景。会場中央に展開したインスタレーションには、浮世絵に出てくるような赤い太鼓橋が。(提供:NANZUKA)

「あの太鼓橋の形状は、葛飾北斎の『諸国名橋奇覧 かめゐどてんじんたいこばし』から引用しています。この絵は、亀戸天神の反り橋を描いていますが、実際はこんな急勾配の橋、登れないし降りられないですよね。つまり、僕にとってこれは『渡ることのできない橋』の象徴なんです。そこにはまた、生と死の二つの世界をつなぐもの、というイメージも持たせています。

非現実的な構造の橋を、風景画として成立させてしまう北斎のイマジネーション。葛飾北斎「諸国名橋奇覧 かめゐど天神たいこばし」(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

僕自身、橋が好きなんですが、こうした橋のイメージのルーツは、目黒雅叙園にある太鼓橋です。僕が通っていた幼稚園は、雅叙園のすぐそばにありました。昔の雅叙園は、誰でも自由に出入り出来たので、幼稚園が終わって母親が迎えに来るまでの時間、僕は雅叙園で遊んでいたんですね。『昭和の竜宮城』と呼ばれた館内には、いろんな日本画や彫刻があって面白かったんですけれど、僕の一番のお気に入りは、トイレにあった太鼓橋だったんです。

絵を描くようになって、画集などを通じていろんな浮世絵の作品を見ていく中で、こうした自分の幼少期の記憶と、浮世絵の造形を結び付けていきました。ちなみに、北斎の橋の絵の中で一番好きなのは『百橋一覧』という作品です。中国風の風景の中にたくさんの橋が細かく描きこまれた作品です。」

葛飾北斎「百橋一覧(諸国名橋一覧)」。本図は、北斎が描いた「百橋一覧」の図中に、各橋の名前を書き込み「諸国名橋一覧」という名称で販売した明治期の改訂(復刻)版。(参照:国立国会図書館デジタルコレクション)

最後に先生が挙げられた北斎の作品は、鑑賞者が作品の中を目で探索していくような面白さがあります。それは、多数のモチーフが凝縮され、細部まで描きこまれた田名網先生の作品にも共通するように感じました。

イメージを形にする「北斎流のデッサン力」

——橋以外には、どのようなモチーフを浮世絵から引用されていますか。

「桜の花や松の木も、浮世絵から引用しています。それから水の表現も。北斎の浮世絵には、様々な水の表現が出てくるんですが、それを部分的に抽出して、自分で描き直しているんです。僕の作品は、他にも若冲とかの作品からもモチーフを引用しているんですが、浮世絵からの引用は特に多いですね。

浮世絵に対する造詣が深い田名網先生。「国芳の戯画も好きだし、芳藤のおもちゃ絵なんかも好きですね」。NANZUKAにて。(撮影:森健児)

国芳や写楽も好きなんですけれど、一番引用しているのは北斎です。とにかく北斎はありとあらゆるものを描いているし、何を描いても独創的だし、北斎の線は圧倒的にきれいなんですよ。魅力的な造形性という意味で、北斎は浮世絵師の中でも抜きん出ています。

物の形をありのままに描く、いわゆるオーソドックスなデッサン力とは違って、自分の頭の中にあるイメージを形にしていく『北斎流のデッサン力』は本当にすごいなと思います。」

田名網先生が「北斎の水の表現」の例として挙げた「諸国滝廻り」のシリーズより。「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝」「東都葵ヶ岡の滝」「下野黒髪山きりふりの滝」いずれも部分図。(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

先生は「引用」という言葉を使われていましたが、たとえば波の表現ひとつを取って見ても、浮世絵らしさを残しつつ、田名網先生独自の描線になっていると感じます。

北斎のイメージをここまで咀嚼し、ご自身の作品を構成するパーツに落とし込む描画力や構成力には感嘆する他ありません。私たち編集部が気付いていない浮世絵からの引用が他にもたくさんありそうで、先生の作品を鑑賞するのがますます楽しみになってきました。

幼少期の体験が作品の根底に潜む田名網作品。おもちゃ箱のようなインスタレーション作品の中には、銀幕のスターやアニメのヒーローと戦争や死のイメージの断片が混在している。(撮影:森健児)

暗闇を照らす光線への憧れ

——続いて今回新たに制作された木版画作品「眼光ビーム」についてお話をうかがいたいと思います。先生の作品には、たびたびこうした光線の表現が見られますね。

2020年夏にリリースされた田名網先生の新作木版画「眼光ビーム」。(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「僕は幼年時代に、空襲を体験しているんですよね。母親と防空壕に逃げながら、日本軍のサーチライトが上空のB-29(爆撃機)を照らすのを見ていました。夜空に細い光の筋が何本も走っている光景が、当時の僕には、ものすごく面白かったんですよ。

夜の海からジッとこちらを見つめる不思議な存在。眼光は、標的を探すサーチライト?(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

周囲の大人の様子から、危険が迫っている状態であることは察知できましたが、まだ小さかったので、そこまで切実な恐怖は無かったんでしょうね。あの暗闇の中の光線を、大人になってもよく思い出します。あのときの体験が、僕の作品の中の光線の表現につながっているのかなって思います。

ペインティングの周囲を軍用機が飛び回る。田名網敬一 個展「記憶の修築」(2020年7月11日〜8月8日)会場風景。(提供:NANZUKA)

あとは、小さい頃に見たナチス・ドイツの党大会の写真の影響もあるかも知れません。強力なサーチライトによる光の演出は有名ですね。ナチスやヒトラーのことを知ったのはずいぶん後になってからですが、夜空に光の柱が並んでいるあの光景を、子供の頃の僕は、きれいだなと感じたんです。」

ご自身の作品集を開き、イメージの源泉を丁寧に説明される田名網先生。(撮影:森健児)

「現代の浮世絵」を制作する面白さ

——木版画作品「眼光ビーム」は、江戸時代の浮世絵の制作技術を継承する彫師・摺師によって制作されました。言うなれば「現代の浮世絵」です。こうした木版画の魅力は、どんなところにあると思われますか。

「木版画は、シルクスクリーンなど他の版種に比べて、線も色彩も、職人の技術に左右されるところが面白いと感じます。過去には、役者絵風の作品を木版画にしたこともあるんですが、今回は特に浮世絵のスタイルを意識したりはしませんでした。僕の作風を木版画で表現するとどうなるかを見ていただければと思います。

江戸時代の浮世絵と同じように職人の手仕事で生まれる木版画。今回の制作には、30代の彫師・摺師がのぞみました。(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

僕のInstagramのアカウント(@keiichitanaami_official)は、いま6万4千人のフォロワーがいるんですが、そのうちの3分の2くらいは海外のフォロワーで、若い世代も多いです。海外のファンの方が、僕の作品の中の浮世絵のモチーフに敏感だったりもしますけれど、木版画というもの自体に触れるのが初めて、という人も多いかも知れません。」

田名網先生のInstagramのアカウントで「眼光ビーム」の写真を投稿された際に、さまざまな言語で「欲しい」「どこで買えるの?」といったコメントが寄せられていました。この作品が、若い世代のファンが浮世絵や木版画の世界に触れる最初のきっかけになったら素敵だと思います。

田名網敬一のFloating World 動く絵がもつ浮遊感

——ちなみに、浮世絵に関する洋書の中で、「UKIYO-E」という言葉を説明するために「Floating World (浮世)」という世界観について言及しているのを読んだことがあります。この「Floating World」という言葉は、どこか田名網先生の作品の浮遊感にも通じているように思うのですが、いかがでしょうか。

江戸時代以来の木版技術で、田名網作品のサイケデリックな色彩を再現する試みは、まさに現代における「浮世」の表現の追究。(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「僕は小さい頃からアニメーションが好きだったせいか、絵を描くとき、常に『この要素が次の場面ではどう動くか』ということを考えながら描いているんです。意識しているというより、無意識のうちに各要素が自然に動き出して、次の場面展開が脳内で再生されているんです。それがもしかしたら、浮遊感というか、画面の中の動きにつながっているのかも知れないですね。

画面を埋め尽くすにぎやかなモチーフの数々と、ネオンの明滅のような色彩。これらが動いているという先生の頭の中、ちょっとのぞいてみたくなりませんか?(撮影:森健児)

あとは、漫画の影響もあると思います。複数のコマ割の効果を一枚の絵の中で表したい、という気持ちが働いているんです。僕の場合は、普段から絵を描くときに頭の中で動画再生されているから、映像作品での表現はしやすいですね。来年、熊本市現代美術館での展示が控えていますが、いまそのための映像作品を制作しています。」

田名網先生の作品が、いつまでも見飽きないのは、作品の中の世界が静止していないからなのではないでしょうか。今回頒布される木版画「眼光ビーム」も、画面のあちこちで複数のストーリーが同時に展開しているような作品です。爆発する軍用機など、事態は緊迫していますが、木版画の軽やかな質感が、奇妙な明るさを伴って、新たな田名網作品の一面を見せてくれています。

田名網先生、このたびはお忙しい中、貴重なお時間をいただきありがとうございました。今後のご活躍にますます期待しております。

田名網敬一先生と木版画作品「眼光ビーム」。現在開催中の個展会場の壁に展示されている。(撮影:森健児)

展覧会情報・新作情報

田名網敬一 記憶の修築 第二弾
会 期:2020年8月18日(火)~9月12日(土)
定休日:日・月曜日、祝祭日
時 間:11:00〜19:00
会 場:NANZUKA(東京都渋谷区渋谷2-17-3 渋谷アイビスビルB2F)
NANZUKA ウェブサイト
田名網敬一 木版画「眼光ビーム」
部 数:100部
画寸法:56.5×39.7 cm
版 種:木版画
用 紙:越前生漉奉書(人間国宝 岩野市兵衛)
出版年:2020年7月
特 典:校合摺(直筆サイン&シリアルナンバー入り)
制 作:株式会社アダチ版画研究所
監 修:(公財)アダチ伝統木版画技術保存財団
作品詳細はこちら

取材協力・NANZUKA
文・松崎未來(ライター)
撮影(一部記載のあるものを除く)・森健児