レゴ®️の大波と羽生結弦の写真がボストン美術館で共演!? 話題の北斎展・担当学芸員ロングインタビュー
米・ボストン美術館で「Hokusai: Inspiration and Influence」が開催中です。浮世絵師・葛飾北斎の作品が、時代や国境を越えて様々な人や文化に与えたインスピレーション(Inspiration)と影響(Influence)を読み解くこの企画展。会場には、江戸時代の浮世絵はもちろん、19世紀末の欧米の工芸品や20世紀後半のポップ・アートの代表作、奈良美智さんをはじめとする現代のアーティストの作品が展示されています。そうしたバラエティに富んだ展示作品の中で、SNSを中心に話題を呼んでいるのが、北斎の「神奈川沖浪裏」を模したダイナミックな巨大レゴ®️作品(制作:三井淳平さん)と羽生結弦さんのポートレイト写真(撮影:蜷川実花さん)。ユニークな視点で同展を企画した、ボストン美術館の学芸員、セーラ・E・トンプソンさんにインタビューしました!
コロナ禍を乗り越えて、北斎の魅力を伝える
良質な日本美術のコレクションを保管し、長年にわたり研究と公開を続けてきた米・ボストン美術館。今日の浮世絵の世界的な評価は、同館の功績なくしては語れません。日本国内でも同館の所蔵作品の展覧会が数多く開催されたことで、私たちは日本文化の豊かさを再認識してきました。セーラさんは、同館の日本美術部門に所属し、これまで展覧会や書籍を通じて、同館の浮世絵の名品の数々を日本に紹介してくださってきた方なんです。
――セーラさん、お久しぶりです。今ボストン美術館で現在開催中の「Hokusai: Inspiration and Influence」が話題になっていますね。同展は、いつ頃から構想し、どのように作品や作家を選び、準備を進めて来られたのですか?
「2013年の『北斎』展(※1)以降、北斎とその弟子たちに関する展覧会をやりたいと考えていました。ボストン美術館には、北斎の弟子たちによる優れた絵画がたくさんありますが、まだまだ研究が進んでいない北斎様式の下図類が大量にあるんです。私は、その中から最も優れた作例を見つけ、公開したいと考えていました。しかしご存知の通り、新型コロナウィルスの検疫のために、すべてがストップしてしまいました。
※1「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」...2013年12月〜2014年11月に日本国内4会場を巡回し、50万人以上を動員した展覧会。2008年にスタートした「ボストン美術館 浮世絵名品展」企画の第三弾に当たる。2015年4月〜8月には、米・ボストン美術館で凱旋展が開催された。
やがて美術館が再開し、アジア部門のスタッフで集まり、近い将来に開催可能な展覧会について話し合いました。学芸課長のクリスティーナ・ユウ・ユウ博士からは『北斎に直接師事した弟子たちだけでなく、北斎の生前から現在に至るまで、彼の作品から影響を受けた世界中の作家たちの作品を紹介すれば、美術館の一番大きな展示室にもふさわしい展覧会が可能なのではないか』という提案がありました。この時点の計画では、当館のコレクションを中心にした展覧会にするつもりでした。
そうして私は、2021年の秋に2023年春開催予定の展覧会の企画書を提出しました。通常、このような展覧会は最低でも二、三年先の計画を立てるので、着手から開幕までわずか一年半というのは、非常にタイトなスケジュールです。しかし、新型コロナウィルスによるロックダウンで、どこの美術館もスケジュールが狂ってしまったので、どうにかするしかありませんでした。」
――コロナ禍では、本当にあらゆることのスケジュールが狂いましたよね。それにしても、わずか一年半の準備期間で、これだけの規模の企画展を組み立てるのは大変でしたね。
「当初から、できれば三井淳平さんのレゴブロック作品を展示したいと思っていました。ただ、それ以外に他所から作品を借りることはあまり無いだろうと考えていました。当館の学芸員仲間が手伝ってくれて、19世紀から20世紀初頭のヨーロッパやアメリカの絵画、版画、装飾美術の所蔵品から、北斎や他の日本の絵師たちにインスパイアされた良い作例を探すことができました。
しかし2022年の夏には、現代美術(1960年以降)の作品を充実させるために、他の美術館やコレクターから、もっと多くの作品を借りなければならないことが明白になってきました。幸運にもそのタイミングで、当館の現代美術部門に新しいキュレーター、ケンドール・デボアが来ました。彼女は北斎と関係のある面白い作品を色々見つけました。たとえば、アンディ・ウォーホルが『神奈川沖浪裏』をもとに描いたドローイング(※2)や、ロイ・リキテンスタインの有名な絵画『溺れる少女』(※3)などです。
※2 アンディ・ウォーホル美術館(米・ピッツバーグ)所蔵。 ※3 ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵(作品番号:685.1971)。
こうした現代美術における明確な北斎の引用だけでなく、意図的には引用していなくとも、興味深い視覚的な類似性があるケースも見られました。その一つが今回展示している蜷川実花さんの写真です。私たちは、そのような作品にも目を向けることにしました。幸い、ほとんどの作品の所有者が、この展覧会のために大切な作品を貸してくれることになりました。そしてまた幸いなことに、各地の検疫が徐々に終了し、異なる国、あるいは合衆国内の異なる都市間で、美術品を輸送することが前より容易になったのです。
借用できる作品が新たに増えたことで、私は展覧会の企画を見直しました。初めは、北斎の影響を受けた作品を時代ごとに比較し、最後に現代の作品をまとめて展示するという、主に年代別の展示にする予定だったんです。しかし制作時期に関係なく、関連するものを並べた方が面白いのではないか、ということになりました。
最終的には、展示の前半部はやはり時系列で構成しました。先ずは北斎の師匠である春章や、北斎に影響を与えた絵師たちの作品を見ていきます。続いて北斎と弟子たちの交流、『北斎漫画』などの絵本の影響、そして北斎の死後、時を経ずしてその作品が欧米に広まっていった過程をたどります。後半はテーマ別です。北斎の『神奈川沖浪裏』にインスパイアされたイメージを皮切りに、風景画、花鳥画、そして現在のマンガやアニメともよく似通った、ヒーローや幽霊、妖怪の物語を描いた武者絵の影響関係を紹介しています。」
――準備期間が短い中でも、展覧会をより魅力的なものにしようと努めるボストン美術館の皆さんの熱意が伝わってくるお話ですね。展覧会開幕から一ヶ月が経ちました。来場者からの反応はいかがですか?
「嬉しいことに、この展覧会はとても人気があるようです! 様々な出版物で好意的なレビューをいただいていますし、具体的な数字はまだ分かりませんが、入場者数も非常に多いようです。もちろん、SNSでの話題もとても嬉しく、特にレゴブロックの『神奈川沖浪裏』や羽生結弦選手のポートレイトの反響は大きいです。これらの作品については、良いPRができればと思っていたのですが、予想以上でしたね。」
北斎作品が与えた影響、その多様さを柔軟にとらえる
三井淳平さんのレゴブロックの作品の展示については、企画展開催前から、三井さんご本人がtwitterを通じて情報発信されていたこともあり、多くの人が注目していました。北斎の作品が、今なお世界中の人々の創意を刺激し続けていることを誰もが理解できる、展覧会の中でも象徴的な作品だと言えるでしょう。
ある日、米国のボストン美術館から突然メールが来て、
— 三井淳平 / Jumpei Mitsui (@Jumpei_Mitsui) March 8, 2023
なんと、私のレゴ作品がボストン美術館で展示されることになりました。
3月26日から始まる「北斎展」で展示されます。現代アートとして本物の浮世絵と一緒に飾っていただけるようです。 pic.twitter.com/mWETQJ7OEg
対して、羽生結弦さんのポートレイトの展示については、事前の情報がありませんでした。SNSに投稿された展覧会の会場風景の中に、ちらりと写った羽生さんの写真を見逃さなかったファンの発見と、北斎との関連という意外性が、セーラさんの言う「予想以上」の反響を生むことになります。
湧き上がる世界中のフィギュアスケートファンに向け、ボストン美術館はインスタグラムのアカウントで羽生さんのポートレイトの展示について言及しました。(下の画像をクリックすると元の投稿が表示されます。)
――羽生さんのパフォーマンスと、蜷川実花さんのカメラが切り取った一瞬の双方に、北斎作品のイメージを重ねたセーラさんの着眼点はユニークで説得力がありました。セーラさんは、蜷川実花さんのあの作品にどのようにして出会ったのですか?
「私が羽生選手のファンになったのは、コロナ禍の2020年の晩春です。YouTubeで羽生選手のスケートの動画を観ることで、辛い時でも前向きな気持ちを保つことができました。それ以来、彼のキャリアを興味深く追いかけています。
蜷川実花さんが『AERA』誌で羽生選手の撮影をしたというニュースは、2022年8〜9月に目にしました。今回展示している写真は、『AERA』プレミアム保存版として出版された羽生選手の特集『羽生結弦 飛躍の原動力』(朝日新聞出版)のネット広告に使用されていたもので、ファンの間に広く浸透していました。そして、どなたが初めだったのかは分かりませんが、この写真を北斎の浮世絵と比較した方がいました。ちょうどその頃、私は今回の展覧会に展示する現代の作品を探していて、この写真も展示として可能性があるのではないかと思いました。
風景画ではなく、ポートレイト写真という全く異なる題材の中に、同じような構図を見出すというのは、展覧会の視点として面白いかもしれないと思いました。今回の『Hokusai』展では、いろいろな種類のアートの広がりを見せたかったので、もっと写真作品の展示を増やしたかったですし、羽生選手が中里唯馬さん(YUIMA NAKAZATO)のクチュールのモデルをしているということで、ファッションの要素があるのもいいなと思いました。実際の衣装を展示しようと計画していましたが、それがかなわなかったので、せめてファッション写真だけでもと思ったのです。」
――あらゆるクリエイティブの中に、葛飾北斎という天才が蒔いたインスピレーションの種が眠っているのかも知れませんね。江戸時代の浮世絵と現代の私たちの生活がどこかで繋がっているのだと思うと、本当にワクワクします。
浮世絵の宝庫、ボストン美術館のコレクション
――「Hokusai」展開幕以降、SNS上で「ボストン美術館に行ってみたい」という声が多数上がっています。今回ボストン美術館に興味を持った方々に、美術館の企画や活動で特におすすめするものを教えてください。
「ボストン以外にお住まいで、ボストン美術館の活動に興味がある方のために、私たちはTwitterとInstagramの両方でアカウントを開設しています。
・ボストン美術館 Twitter アカウント:@mfaboston
・ボストン美術館 Instagram アカウント:@mfaboston
また、日本美術のコレクションについて、あるいはもちろんそれ以外のコレクションについても、もっと詳しく知りたい方は、オンラインのコレクションデータベース(https://collections.mfa.org/collections)をご覧ください。コレクションのほぼ全てを公開しています。浮世絵の場合は、全て写真に撮ってありますし、タイトルや絵師の名前も英語と日本語で書いてありますので、どちらの言語での検索も可能です。
そして、もしボストンにいらっしゃる機会があれば、ぜひ美術館においでになってください。「Hokusai」展は7月まで開催していて、8月には改装を終えた日本美術の展示室を再開する予定です。
浮世絵については、常に特別なものを展示するように努めていますが、あまり長い間光に当てておくと色が褪せてしまうので、版画を入れ替える必要があります。幸い、当館は何千点もの作品を所蔵しているので、ご覧いただける良い作品がたくさんありますよ。」
――ご紹介ありがとうございます。では最後に。セーラさんは2019年以降、日本にいらっしゃっていないとのことですが、次に来日する機会があれば、日本でやりたいこと、行きたい場所などはありますか?
「私が日本に行くのはボストン美術館の仕事で、巡回展の関係で行くことが多いので、次回はいつになるのか、はっきり分かりません。ただ、近いうちにと思っています!
仕事で日本に行くときは、滞在中に休暇をとって、まだ見たことのない場所に行くようにしています。直島までは行ったことがあるんですけれど、意外にもまだ四国本土に行ったことがないので、特に金刀比羅宮などに行ってみたいです。あと、北海道や沖縄にも行ったことがないです。きっとそちらにも、私にとって興味深い出会いが待っていそうです。
We’re incredibly honored to be joined by @Jumpei_Mitsui tonight! He’s talking with visitors about his Great Wave built with LEGO® Bricks alongside Sarah E. Thompson, curator of “Hokusai: Inspiration and Influence.” pic.twitter.com/7wtJk7T0n6
— Museum of Fine Arts, Boston (@mfaboston) April 1, 2023
羽生選手のファンになった今は、また仙台に行きたいと思っています。以前、松島が見たくて一度だけ行ったことがあるのですが、それはもう何年も前のことで、その頃とは街もずいぶん変わってしまったのではないでしょうか。写真で見ると綺麗なんですけどね。なので、仙台に行って、ずんだ餅を食べたいです。
そしてもちろん、羽生選手のスケートを生で見る機会があったら、日本中……その場合は他の地域であってもですが、どこへでも行きますよ!」
――セーラさん、このたびはお忙しい中、貴重なお話を(しかも日本語で!)ありがとうございました。チャーミングなセーラさんにまたお会いする日を、そしてボストン美術館の浮世絵の名品にまた出会う日を、楽しみにしています。
会 期:2023年3月26日(日)〜7月16日(日)
時 間:10:00〜17:00(入館は閉館30分前まで)
※木・金曜日は22:00まで開館
休館日:火曜日
会 場:ボストン美術館(465 Huntington Avenue, Boston, Massachusetts 02115 USA)
観覧料:一般 34ドル/7〜17歳の方 17ドル/メンバーシップおよび6歳以下の方 無料
お問合せ:+1-617-267-9300
公式サイト:https://www.mfa.org/
協力 ボストン美術館、三井淳平(敬称略)
取材・編集 「北斎今昔」編集部
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