ミラバースミュージアムで浮世絵鑑賞! 天童・広重美術館の挑戦

ミラバースミュージアムで浮世絵鑑賞! 天童・広重美術館の挑戦

新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け、2021年4月より長期休館に入った広重美術館。山形・天童の温泉街に建つ私立美術館は、パンデミックの移動制限で大きな打撃を受けました。しかし同館では新たな取り組みとして、2022年6月にVR空間で所蔵品を公開。最新の技術を導入し、withコロナ時代の美術館のあり方を模索し続けています。新しい浮世絵鑑賞の場「MiraVerse®ミュージアム 広重」について取材しました。

「MiraVerse®」ってなに?

未曾有のパンデミックを迎えたこの2年余、非対面の新たなコミュニケーションやサービス提供の手段として注目が高まっているのがメタバースです。2022年4月に凸版印刷が提供をスタートした「MiraVerse®(ミラバース)」は、高精細な画像データ処理と正確な3D計測とで、現実の空間や物体の再現性が極めて高い、臨場感のあるVR空間を構築できるシステムです。この「MiraVerse®」の文化・教育面での活用事例第一弾となったのが「MiraVerse®ミュージアム 広重」。天童の広重美術館の所蔵品を展示した美術館がメタバース上に誕生しました。

VRゴーグルを装着して楽しむ、新たな浮世絵鑑賞「MiraVerese®︎ 広重」。

「MiraVerse®ミュージアム 広重」に入場するには、世界的なシェアを誇るソーシャルVRアプリ「VR Chat」というサービスを利用します。ユーザーは、好みのアバター(VR空間における自身のキャラクター)を選び、メタバース上に公開されているさまざまなスペースを訪れて、そこに同時アクセスしている他のユーザーとの交流を楽しむことができます。「MiraVerse®ミュージアム 広重」では、8月19日と20日の2日間、この「VR Chat」の機能を利用した初のトークイベントを開催。VR初心者の編集部が参加しました。

びっくりするほどリアルなVRの浮世絵鑑賞

「MiraVerse®ミュージアム 広重」への入場は基本的に無料ですが、「VR Chat」は一定の動作環境が必要です。いわゆる「ゲーミングPC」と呼ばれるスペックのPCでないとスムーズに操作できないので、現状はやや敷居の高いサービスと言えるでしょう。とは言え日本でも数十万人が「MiraVerse®ミュージアム」を利用可能な環境にあります。また最近のネットカフェにはゲーミングPCを設置しVRゴーグルを貸し出している店舗もあるので(編集部の一人もネットカフェから参加。)、今後利用者はどんどん拡がっていくでしょう。

「MiraVerese®︎ 広重」のオープニングムービー。

「MiraVerse®ミュージアム 広重」に入室すると、はじめに四季の情緒にあふれた広重作品を使用したオープニングムービーが流れます。その映像をくぐり抜けるようにして奥に進むと、現れるのは広い円形の展示室。少し薄暗いのですが、壁面に掛けられた作品に近寄ると、パッと上方からスポット照明が当たるようになっています。

間接照明がムーディな展示室。鏡面仕上げの床に参加者のアバターが映り込む。

イベント当日は、広重美術館の学芸員お二人のアバターがすでにミュージアム内に待機されていて、入室するとすぐに近づいてきて挨拶をしてくださいました。VR機器が揃っていれば音声だけでなくジェスチャーも交えて会話できますし、PCのみでも首を振ったり、手を振ったりといった操作はできます。お互い3Dのアバターですが、人間味のあるコミュニケーションが取れると感じました。

イベント開始時刻になり、学芸員お二人が壁に沿って歩きながら、展示作品一点一点を解説していってくださいました。参加者がぞろぞろとお二人について移動する様子は、美術館・博物館の展示解説ツアーとまったく同じです。学芸員の方が作品の細部に言及されたのち「ぜひ近寄って見てみてください」と促し、参加者が順番に作品に近寄っていく(お互いに譲り合ったりしながら)のも、なんとも言えない現実味がありました。

作品に寄って細部を鑑賞する参加者。

そして驚くべきは、鑑賞体験のリアルな再現性。ただ作品の図柄が鮮明にわかるというだけでなく、作品のサイズ感や質感がはっきり伝わって来ました。和紙に摺られた版画を見ているのに限りなく近い感覚があるのには、本当に驚きです。しかも展示ケースのガラスや額のアクリルがない分、ぐいぐい顔を近づけて観られるのは浮世絵ファンとしてはかなり嬉しい環境。さらにVRならではの演出として、展示作品を裏返して観るという機能もありました。作品の裏面に、竹皮のばれんで摺った跡が見て取れるのは、感動でした。

一部の作品には、日英の音声解説も用意されている。こちらは「東海道五拾三次之内 箱根」を裏返してみたところ。

設定や操作に慣れるまでに多少時間を要しましたが、今回のトークイベントへの参加で、ウィズコロナ時代の新たな芸術鑑賞に大きな可能性を感じました。また他の美術作品に比べて、極めてフラットで軽い浮世絵版画は、VR空間での展示と非常に相性が良いとも思いました。作品保護の観点から展示期間や照度が制限されない点も、VRの展示ならではの強みだと思います。

「VR Chat」では、カメラを持って撮影をすることもできる。トークイベント参加者が撮影してくれた写真。

「浮世絵の世界に入りたい」夢に向けた最初の一歩

2日間のトークイベント終了後、広重美術館の副館長を務める梅澤美穂さんと学芸員の土屋さんに改めてお話をうかがいました。

——まずは、どのような経緯で「MiraVerse®ミュージアム 広重」を開設されたのかうかがえますか。

「昨年、当館が長期休館を決定した頃に、オーナーである滝の湯ホテルの代表・山口が、お知り合いの方から凸版印刷にお勤めの方を紹介いただいたんです。そして同社の情報コミュニケーション事業本部が開発している最先端の技術で、美術館の活動を支援できないかというお話をいただきました。まずは当館の所蔵品のデジタルデータ化が決まり、次にそれをどう活用するかということについてミーティングを重ねました。

休館中の広重美術館。天童の温泉街の景観に馴染む、蔵を模した白壁の美術館。

あるとき凸版印刷の方に『江戸時代に行ってみたい。浮世絵の世界に入って、描かれた風景の中を歩いてみたい』というような夢を話したんです。技術的にはVR上でほぼ実現可能だということなのですが、歴史的な考証や世界観を生み出すクリエイティブデザインも必要になるので、制作に膨大な時間と費用がかかってしまいます。そこで先ずは、夢の世界への最初の足がかりとして、VR上に当館所蔵品を展示する美術館をつくろうという話になりました」

——「MiraVerse®ミュージアム 広重」の展示室は、実際の広重美術館の展示室の再現とも異なります。展示空間や内容については、どのように決めていったのですか。

「展示室の設計や照明の演出もすべて、凸版印刷の方々と連携をとりながら一からつくり上げていきました。いろんな美術館・博物館に足を運ばれて、VR空間でどのように作品を見せるのが良いのか研究してくださったとうかがいました。浮世絵から飛び出して来たような、着物姿のオリジナルアバターもつくっていただいたり。

作品名は日英併記で空中に浮かび上がるようなデザインになっている。

このプロジェクトが始まってから、凸版印刷の皆さんが次第に浮世絵に興味を持ってくださるのがわかって、私たちもとても嬉しかったです。現在『MiraVerse®ミュージアム 広重』には、当館所蔵の33件の作品が展示されていますが、大きくは『雪月花』『水の表現』『人物の描写』というテーマで作品が並んでいます。この作品の選定や展示の順序も、凸版印刷側からの提案です。凸版印刷の皆さんから次々と出てくるアイディアは、みずみずしいというか、私たちもご一緒にプロジェクトを進めながら改めて初心に返ることができました」

広重の代表作「名所江戸百景」の一図「亀戸天神境内」。額のアクリルやガラスの写り込みがないのが嬉しい。(アバターの身長を低めに設定した結果の視点。)

再開館に向けて、VRならではの展示を模索しながら

——「MiraVerse®ミュージアム 広重」の展望をお聞かせください。

「今月中に『MiraVerese®︎ミュージアム 広重』内の作品の一部展示替えを予定しています。それから、この空間でのいくつかの新たな展開の準備を進めています。まだ言語や環境の課題はありますが、24時間世界中どこからでもアクセスできるのはメタバース上のミュージアムの大きな魅力だと思っています。今後は、たとえば世界中に散逸した浮世絵作品を一堂に集めた企画展だったり、作品の世界観に没入できるような展示・演出といった、VR上だからこそ実現可能な展示のあり方を考えていきたいと思っています。

『MiraVerse®ミュージアム 広重』の公開は、あくまでスタート地点に立った、というところ。まだまだ『こんなことができたら良いな』ということがいっぱいありますし、今回トークイベントを開催して、新たな気づきや発見がありました。いろんな方々にMiraVerese®︎ミュージアムを体験いただき、ご意見をいただきながら『MiraVerse®ミュージアム 広重』という空間を活用していきたいと思っています」


——天童の広重美術館は、当面休館のままなのでしょうか。

「今回『MiraVerse®ミュージアム 広重』は凸版印刷の『MiraVerese®︎ミュージアム』のモデルケースということで、製作していただきました。そして、私たちに提示された条件が、美術館の再開館なんです。『リアルな美術館があってこそのMiraVerese®︎ミュージアムなんです。必ず、再開館してください』と。本当にありがたいお話だと思っています。

広重と天童のゆかりは極めて深い。財政難に苦しむ天童藩からの依頼を受け、歌川広重が制作した肉筆画群(推定200幅以上)を「天童広重」と呼ぶ。広重美術館も「天童広重」の作品を所蔵している。展示室の掛け軸はその中の一点。

収束の見えないコロナ下で、内部ではもはや閉館の話も持ち上がっていました。けれど、凸版印刷の皆さんとお話をしていく中で、流れが少しずつ変わって来ました。『MiraVerese®︎ミュージアム 広重』が、再起のきっかけをつくって下さったんです。

再開館の目処はまだ立ちませんが、今年度、事業再構築補助金を申請し、広重美術館の1階部分を商業施設としてリニューアルし、2階部分の展示室を美術館の施設として残す方向で準備を進めています。休館中は所蔵品を他館に貸し出すなどして再開館に向けた資金調達をしながら、一人でも多くの方に、天童のこと、広重美術館のことを知っていただきたいと思っています」

——最先端の技術に触れることができただけでなく、夢と希望に満ちたお話をうかがうことができ、嬉しく思います。「北斎今昔」も貴館の再開館を応援しております。

今回の取材で、VRの技術が現実世界の再現を越えて、未知の体験や新しい価値を創造しようとしているということを改めて実感しました。梅澤さんの「浮世絵の世界に入りたい」という夢がかなうのも、そう遠い未来ではないのかも知れません。「MiraVerese®︎ミュージアム 広重」での浮世絵鑑賞、ぜひ皆さんも体験してみてください。

MiraVerese®︎ミュージアム 広重
公式サイト:https://hiroshige-tendo.jp/miraverse/

取材・文 「北斎今昔」編集部
協力 広重美術館株式会社 滝の湯ホテル