世界初開催!「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」レポート

世界初開催!「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」レポート

2024年1月6日より、千葉市美術館で「サムライ、浮世絵師になる! 鳥文斎栄之展」がスタートしました。国内外から集めた名品約160点で、鳥文斎栄之の画業を総覧する世界初の展覧会。昨年より、数々のメディアが「2024年注目の展覧会」の一つに挙げており、期待を裏切らない充実の内容は、浮世絵ファン必見です!

将軍のお側仕えから、浮世絵師へ

改めて、皆さんは鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし・1756−1829)という浮世絵師をご存知でしょうか? 

作品の多くが海外に流出してしまったこともあり、今日の知名度は決して高くはありません。しかし「浮世絵の黄金期」と呼ばれる時代に、歌麿と並び人気を博した浮世絵史上欠かせない絵師であり、その作品は現代の私たちの目にも魅力的です。年始から千葉市美術館で始まった「鳥文斎栄之展」は、そんな栄之の世界初開催の大規模個展となります。

浮世絵美人が並ぶ「鳥文斎栄之展」会場会場入口のサイン。

「サムライ、浮世絵師になる!」という今回の企画展名の通り、鳥文斎栄之は武家の出身でした。それも由緒ある旗本の家柄であり、浮世絵師として活動する以前には、なんと将軍のお側仕えをしていたそうなんです。栄之は、御用絵師の狩野派に絵画を学び、書画を好んだ10代将軍・家治の元で「絵具方」という役職に就いていました。栄之という画号は、将軍から賜ったものと伝えられています。

漆塗の絵具箱(参考資料)。現代のようにチューブ入りの絵の具など無い時代。将軍の画材の管理も大事なお役目。

このような輝かしいキャリアを持った栄之が、二十代の終わりに浮世絵師に転身した経緯について、詳しいことは分かっていません。絵心があったとは言え、旗本の長男坊が市井の商業画家として活動していくという選択は、大きな決断だったろうと思います。栄之の浮世絵師としての活動のスタートが、将軍・家治が亡くなり、田沼時代が終わる天明6(1786)年頃であることも、なんらかの関係があるのではないかと考えられています。

鳥文斎栄之《貴婦人の舟遊び》寛政4-5年(1792-93)頃 大判錦絵3枚続 ボストン美術館蔵
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14119-21
Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston

すでに一定の力量が認められていたのか、栄之には浮世絵師としての下積み時代というべき期間が確認できず、早い時期から門人もいたようです。記録が少ないだけに、この異色の浮世絵師の登場と、彼を取り巻く当時の状況には、様々な想像が膨らみます。今後さらなる研究・調査が進むことが望まれますが、鳥文斎栄之は、「大衆娯楽」という一言では語り得ない浮世絵文化の多様さの一端を担う、重要な絵師と言えるでしょう。

漂う風雅、滲み出る品性

栄之が浮世絵師としての活動をスタートした頃、健康的な八頭身の美人を描いて一世を風靡していた鳥居清長が、錦絵(多色摺の木版画)制作の第一線を退きました。今日「江戸のヴィーナス」と称される清長の美人画の影響力は大きく、栄之の初期の作品にも、清長の影響は顕著です。

鳥文斎栄之《松竹梅三美人》大判錦絵 寛政4-5年(1792-93)頃 ボストン美術館蔵
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14079
Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston

この時期、浮世絵師(と版元)たちは、清長に続く美人画の新たな潮流を生み出すべく、様々に趣向を凝らした作品を世に送り出しています。展覧会の会場でも、栄之が次第に清長風を離れ、自分のスタイルを確立していく様子を見て取ることができるでしょう。

栄之美人は、すらっとした細身、小顔で極端ななで肩。「白魚のような手」という表現は、栄之美人のためにあるのかと思うほど、手首、指先はほっそりとして、その仕草はとても優雅です。

鳥文斎栄之《若菜初衣裳 松葉屋 染之助 わかき わかば》大判錦絵 寛政6年(1794)頃 ボストン美術館蔵
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14082
Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston

そして細い長身を活かし、着物の袂や裾に文様をあしらった和装のコーディネートが目を惹きます。栄之は様々な身分・職業の女性を描いていますが、小綺麗な着こなしの女性が多いのは、彼の生まれ育った環境のせいでしょうか。今で言うコンサバ系女子(?)が、栄之の得意分野だったようです。

鳥文斎栄之《若那初模様 丁子屋 いそ山 きちじ たきじ》大判錦絵 寛政7年(1795)頃 ボストン美術館蔵
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14036 Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston
一見白い無地のように見える着物にも、模様が。版木を用い和紙の表面に凹凸を生む「空摺り(からずり)」の技法が施されている。

浮世絵の美人画は似たり寄ったり、と言われがちですが、上品でおしとやか、柔和な表情で描かれた栄之美人は、同時代の歌麿が描いた情感豊かでエネルギッシュな美人とはだいぶ趣きを異にしています。この栄之の、控えめながら洗練されたセンスが、心に刺さる現代人は多いはず。

同じ図柄で色違いが存在する作品も。栄之作品が人気だったことが分かる。

商業印刷であった浮世絵版画は、現代の私たちが考えるアートとはやや異なり、必ずしも画家の個性が尊重されるメディアではありません。版元の思惑や彫師・摺師の技量といった複合的な要素によって作品が成立する中で、それでも栄之の美人画は総じて上品な雰囲気をまとっています。クセのない素直な描線の中に、自ずと滲み出る品性。これは、他の絵師には決して真似のできない、栄之の持ち味だったのではないでしょうか。

会場には「紅嫌い」と呼ばれた浮世絵作品も。抑制された色調が、栄之美人の上品さにマッチ。

「浮世絵の黄金期」は、多彩な絵師たちが登場し、浮世絵の享受層を大きく広げた時代です。様々な人々の関心や嗜好に応じた作品が生まれる中、栄之美人の穏やかな微笑みに、多くの人が憧れを抱き、ハイソサエティは共感したと思います。栄之の作品を当時どのような人が買い求め、どんな風に愛でていたのか。想像しながら会場を巡ると、一層鑑賞が楽しいものになりました。

世界中から栄之作品が集結! 初公開作品も

会場に並ぶ錦絵の作品数の多さからはやや意外な気もしますが、栄之が錦絵の制作に携わっていたのは十年余りで、その後は肉筆画の制作を専らとしました。つまり、錦絵を発表した十年ほどの間に、制作発注してくれる一定数の(裕福な)ファンを獲得していた、ということになります。またこれは、寛政の改革による出版統制を避けたためとも考えられています。

福の神たちが吉原に遊びに行くストーリーを描いた「三福神吉原通い図巻」。吉原通いをテーマにした作品は人気があった。

会場には、そんな貴重な一点物の作品も多数展示されています。中でも注目は、新発見・初公開の六曲屏風「和漢美人競艶図屏風」。本展の準備段階で見つかった作品で、日本と中国の美人6名の立ち姿が描かれています。

二百年近く経っているとは思えない鮮やかな色彩は、彼の技術・知識はもちろんのこと、良質な画材を使用することができる環境にあったことを物語っています。栄之美人を好む趣味人のもとで長く愛され、丁寧に保管されてきたのではないでしょうか。

新発見・初公開の栄之の肉筆画。楊貴妃や紫式部と推定される歴史上の美女・才女たちが描かれている。

国内外の美術館・博物館、そして個人コレクターが所蔵する名品約160点を集めた、今回の「鳥文斎栄之展」。ボストン美術館や大英博物館といった名だたる美術館が並ぶ作品リストから、主催者の並々ならぬ熱意が伝わってきます。これだけの数の栄之作品を一堂に見ることができるのは、この機会を逃したら、当面無いでしょう。

紙を連結させたワイド画面の作品群が並ぶ展示室の一角。五枚続の大画面は華やか。

美術館の2フロアにまたがる展示室をゆったり使用した会場では、栄之とその支持者たちによって培われた、江戸の風雅な世界観に浸れます。多彩な浮世絵文化の一面を、ぜひ美術館で楽しんでみてはいかがでしょうか。

展覧会情報

サムライ、浮世絵師になる!  鳥文斎栄之展
会 期:前期 2024年1月6日~2月4日
    後期 2024年2月6日〜3月3日
時 間:日〜木曜日 10:00〜18:00(※入館は閉館の30分前まで)
    ※ 金・土曜日は20:00まで開館
休室日:1/9, 1/15, 2/5, 2/13  ※第1月曜日は休館日
会 場:千葉市美術館(千葉市中央区中央3-10-8)
観覧料:一般 1,500円/大学生 800円/高校生以下無料

お問合せ:043-221-2311
公式サイト:https://www.ccma-net.jp/

文/撮影・松崎未來(ライター)
協力・千葉市美術館